「貴方の趣味(生き甲斐)は何ですか?」と聞かれると「趣味は39会です。」と答えることを憚らない加福です。「あとがき」を書くにあたり、何故39会がこんなに楽しいのだろうか?と眠りながら考えた。39会は1964年4月に三菱造船(株)長船にそろって入社した55人の集まりに過ぎないのだが。
1. 昭和寮の新築された第5棟に55人全員が(一部屋に2人づつ)入寮できたことにより先輩たちとは区画され、同期の意識が強くなり学生時代のサークルの合宿生活のような雰囲気が出来上がったこと。
2. 22,136円の初任給から税金、保険と寮費(含む食費)等を天引きされ,1万数千円の手取り全額を自由に使える良き身分?の人が多かったこと。
入社後1年間の見習い期間中は残業無用!と指示されていたので定時(午後4時)になるや否やタイムレコーダーを押して昭和寮に直行!夜の自由時間が長く、本当に古き良き時代であったこと。
3. 最近の若者たちのように彼女と2人きりでデートというのは一般的ではなく、数人が集まってアルコールを飲み交わしながら話に花を咲かせるのが普通という時代背景があったこと。
これらが『39会を楽しくした理由』となったのであろうと思う。見習い期間中も含めてこれまで何回か39会の集まりを企画した記憶があるが、いつも非常に出席率が高かったと記憶している。幹事役を勤めると出席率が高いことが何よりも嬉しいのだが、それ以上に、誰にも気兼ねをせずに会を進行出来ることが気楽であった。社内の所属部での会合とは異なり、席順やスピーチの順で悩むこともなし、お互いに名前を呼び捨てでワイワイやれる雰囲気で進められたので幹事役を勤めることが楽しかった。
また39会ほど人材が豊富な会も珍しいのでは?こんなに優秀な人たちが自分の仲間にいると考えるだけで嬉しくなり自慢したくなるのである。
MHIの役員にまでのぼりつめた人:4人、 国立大学の教授を勤めた人:3人
社長という名刺を持った人:8人?、ほか見習い時代から「会長」と呼ばれ、これまで10冊を超える著書を出版されている文豪など数え上げたらきりがない。それでいて「あいつは偉そうにしていやな奴だ、あいつが参加する会には俺は出席しない!」という話を全く聞かないのも楽しい理由であろう。
もし「貴方はいつの時代に戻りたいですか?」と39会のメンバーにアンケートをとると「新婚時代に戻りたい!」とか「部長時代が楽しかったからもう一度」という人よりも「昭和寮で39会メンバー全員でもう一度楽しみたい!」という声が最も多いだろうと思っているのは俺だけだろうか?
39会が40周年、50周年記念大会・・・といつまでも続けられることを切に期待して・・・・。
