1. 飲み物について
飲み物といっても「ビールですか、お酒ですか」といった話ではない。水のお話です。
入寮後先ず気になったのは水の不味さである。ご存知のように長崎では大きな川がなくダムに水を貯めるといっても大した量にならず給水制限はしょっちゅうだしそのうえ水質は極め付きの悪さとなる。まあ東京の水道水も不味いが、それに慣れた私でさえ「こんなもの飲めるか」と言わざるを得ない代物である。結婚後下西山に住んだがここは昭和寮と水系がことなり味は少し良くなった。何れにせよ長崎県にはろくな造り酒屋がなく、酒(日本酒)にかんしては長崎は不毛の地で、まあこれだけ水が悪ければ仕方ありませんね。
そこでアルコール飲料についての話としましょう。九州ご出身のご同輩が里帰りされて帰りに一升瓶の焼酎をぶら提げてご帰還遊ばされる。その匂いを嗅ぎつけてお相伴にあづかるご仁が多数集まり賑やかにもリッチな気分を味わったものですね。ウィスキーではサントリーレッドが500円で、氷も無くツマミもなしにストレートでよく飲んだものです。誰の部屋だったか天井に取り付けた本棚にレッドの空き瓶を並べてご機嫌だったのがおりましたね。その後レッドの大瓶が1000円で発売になりこれも寮生活を彩りました。言っておくが俺のことではないよ。
サッポロジャイアントと称するビールの大瓶もありました。重たいのに掴むところは普通のビールと同じで、滑りやすく扱い難い代物でした。長田青春日記にも登場しております。
2. 現場実習について
集合教育が終わって現場実習に就いた。現場実習の前半は「あまつかぜ」で艤装工事のお遊び、後半は鋳造工場でのお遊びとなった。当然のことながら見習などは仕事の邪魔になるだけで配属先はお荷物を背負わされ迷惑した筈。あまり迷惑を掛けぬよう更衣室の隅で睡眠不足の解消に努め夜の部に備えた仁も少なくなかったと推察する。「あまつかぜ」では階段の手摺の溶接をさせてもらった。パイプ製の手摺を階段に溶接する訳であるが、うまく付かず手摺のほうに穴が明く始末で指導員(? なんといいましたっけ)が手直しした。鋳造工場では暇に任せて小さいプロペラと浜の町で仕入れた石膏の乙女像の複製をアルミで作り、今でも両方とも押入れの隅に残っている筈。
3. 言葉について
現場実習でもその後の配属先でも九州弁が分らず慣れるまで苦労した。「かった」「こうた」の違いは方言の教科書には必ず載っているほどの典型例あるが、この他では「なおしておけ」がある。指示された書類を仕上げ係長に提出したところ「これはなおしておけ」と言われた。こちらは当然どこかを訂正ないしは手直しすると思い「どこをどう直すのですか」と訊いた。係長曰く「だからなおしておけばいいのだ」と前と同じ言葉。多分2〜3回この繰り返しがあったように記憶する。あとで分ったことであるが保管しておけと言うことであった。
言葉のことと言えば入社の年かその翌年かは記憶定かでないが、5月の連休に鹿児島旅行をした時である。開聞岳に登っているとき途中で地の人に会い道を尋ねたが、言っていることがさっぱり理解できない。まるで異国にきたようである。今でも長崎弁は相当理解できるつもりであるが、鹿児島の言葉はチンプンカンプンであろう、串良の人そうですよね。
4. 食い物について
長崎名物チャンポン、皿うどん。チャンポンは一人前どんぶりに入っているからいい
が、皿うどんは何人前か大皿に盛られて出される。ご同輩の皆様何人かで行った時の勘定は当然割り勘となる。割り勘負けせぬようガッツクことになるが上品なる私はどうしても元が取れない。岡部ヒデボンなどは何時も勝ち組だったような記憶がある。
冬になると雲仙の霧氷を見に朝飯の抜きで出かけ、妙見だか普賢だかに登り霧氷に感激してから雲仙の街中まで降りてきて昼飯となる。この時のメニューは皿うどんが多かったようで、大体は負け組に入っていた。割り勘負けしたと言っても腹一杯食った感じがしたのだから相当なボリュームがあったんですね。
昭和寮の朝と日曜日の昼はパン食しかなかったと記憶している。うまいコーヒーが付いていた訳でなくそのまま食えるほどの味でもなく、そこでキューピーのサンドウィッチスプレッドなるものを食堂の棚に用意しこれを付けて食うことが多かった。いまでも時々懐かしく買ってくるがカミサンが気に食わぬせいかいつのまにかなくなっている。
