38年待遇を条件に、3月3日に中途入社し、1棟に居住していたが、皆さんと一緒に集合教育を受けたのを機に、5棟に移り住むこととなり、410号室に石崎さんと同居することとなった。学生時代からの習性で、全く掃除をしないため、同室の石崎さんには、たいそう迷惑を掛けた。(本人はもう少し汚くなって、我慢できなくなったら掃除しようと思って居る状況が、同室者には、我慢できないもので掃除をしてしまうということで、全く掃除をする気が無かった訳では無い。)石崎さん有り難う御座いました、また、大変お世話になりました。
寮時代、私は、写真を撮ることなく、見たままを、その時の感情を含めて記憶して置けばよいとの信条を持っていたこともあり、エビデンスは全く有りません。ただ、昭和43年4月7日結婚するまで、たった4年と1ヶ月の短い間に、これほどのことがあったのか、と今では信じられない程の沢山の映像が、それこそ走馬燈のように浮かんで来ます。
スポット的に浮かんでくる特定場面の画像を、文章にして皆さんに伝えることは、私のつたない表現力では、とても無理であり、その経緯や時期等遠くに忘れてしまっていて、あやふやなこと夥しく、登場する方々に迷惑を掛けることにもなりかねず、躊躇していますが、鮮明に覚えている場面から、ことの筋書き(骨子)だけなら、何とか記憶を思い起こせそうな、その頃頭の中の半分以上を占めていたように思う、女性関係のからむ話(月見の宴と失恋)を書かせて貰います。
[月見の宴と失恋]
多分昭和40年の9月か10月のとある土曜日、当時の配属先の艦艇設計で、唐八景での月見が有った。
学生時代に習い覚えたお酒の虜になっていた私は、大喜びで参加したのはいうまでもない。
月見であれば当然夜であり、季節柄寒かった、酒を飲めば暖まると冷や酒を飲み、未だ寒いと走り回って居たくらいまでは覚えている。(鮮明に浮かんでくる映像a:10人程度の人が車座になって酒を飲んでいるのが数カ所あり、草っぱらを、走り回っている私)
日曜日の朝、二日酔いの痛い頭の中に、なにやら怪しい映像を思い浮かべながら目を覚ました。(映像b:私が、私の所属する班のリーダで、次期係長確実のA氏と取っ組み合いの喧嘩をしている、体格の良いA氏からメタメタにやられそうで、誰か止めてくれるのを待っている。)
同室の石崎さんは出かけたようで、妙に静かであった。何となく不自然な感じで、自分のシャツやズボンを見て、それが泥まみれなのに気付き、衝撃が走りはっきりと目覚めた。
酒の飲み過ぎで意識不明になった経験の有る方のみに分かるあの恐怖とも言える不安と深い悔悟の心理状況で、昨日のことを思い出そうと必死に藻掻くも、酒を飲み機嫌良く走り回っていたことしか思い出せない。目覚めの時の怪しい映像(映像b)が現実のものであったか?。不安と頭痛と闘いつつ、ゆるゆると起きあがり、シャツとズボンを何とかせんと明日の勤務に差し支える、それにも増して昨日の状況を知らなければ、明日の会社での謝りようもない等とりとめもなく考えつつ、同じ艦艇設計の木原さんに今日の内になんとか会いたいものだ。木原さんも出かけているかな?
その時ドアをノックする音、私の部屋にノックして来る人は誰?と、汚れたシャツを少し隠しかげんに返事をしたら、そこに現れたのは、会いたいと願っていた他ならぬ木原さんであった。
木原さんの第一声は「大丈夫?」だったかと思う。木原さんが私を寮まで連れて帰ってくれたことを覚えていない私の返事は頓珍漢であったことと思われる。木原さんは何も覚えていない私を信じられないようであったが、同じ寮だからと押し付けられ、ゲロを吐き掛けられ、奥さん運転で帰宅中の課長付きの車にぶつかり、親切に乗せてくれた車にもゲロを吐き、全く謝らない酔っぱらいの替わりに、平謝りに謝らねばならなかった等大迷惑を被った帰路のことを教えて呉れた。が、取っ組み合いの喧嘩については何も聞けなかった。(木原さん有り難う御座いました。改めて御礼申し上げます。正に命の恩人です。)
ひょっとしたら喧嘩は無かったか?とほっとしつつ、木原さんが知らないだけで、月曜日A氏と顔を合わせるまでは安心できんなと不安を残しつつの日曜日であった。
月曜日課内の人達にどのように謝って回ったかは記憶に無いが、A氏から、「課長に謝っておけよ、課長の頭をおまえがポカリとやって、課長と取っ組み合いの喧嘩になりそうだったので、課長とまともに殴り合ったらおしまいだから、俺が相手をしようと、喧嘩を買って出たのだ」と教えられ、目の前が真っ暗になったのは覚えている。ただ、何故課長の頭をコツンとやったかは、未だに分からない、誰も教えてくれなかった、と言うより何の前兆もなしの突然の出来事だったようだ。
それから数日後、結婚を前提のお付き合いをしていた女子社員(長田会長の取り持ちで、その上司にも長田会長から了解をとりつけて貰った正式のお付き合いだった)から、今までのことはなかったことにしてくれ、もう会わないとの最後通牒を受け、大いに落ち込んだ。
その後、最後通牒を受けた原因が、月見の宴の醜態であることが判明し、納得すると同時に、長船の女子社員間の情報網がかくも整備されているのなら、長船女子社員との縁は全てが絶たれた、あとは、市中に活を求めるほか無しと覚悟を決めた次第です。

その後、何度か結婚を真剣に考えるお付き合いがあるにはあったが、なかなかまとまらず、ぐずぐずするうちに同期の仲間も徐々に減り寂しくなりかけた頃、当時既にご成婚済みの檜原さんから、奥さんの遠縁の人ということで、今の愛妻を紹介して頂いた。約1年半の交際の後無事結婚し今日に到っています。危機的状況がなかった訳ではないがここまで来れたのは、彼女の父親が無類の酒好きで、酒飲みの扱いに慣れていたということかと思う。檜原さん有難う御座いました。