トヨペットとお巡りさんー三題ー
檜原 勇多賀
 1958年型で観音開きのドアにリアウィンドウにはズボン吊りと称する2本の支柱が入っておりしかも京都ナンバーのトヨペットクラウン1500cc6人乗りは、その頃可成り目立つ車だったに違いない。よほど怪しいと思われたのか、この車はよくお巡りさんに呼び止められた。以下は、このトヨペットクラウンとお巡りさんの想い出である。

ーその1ー
 真夏の太陽が容赦なく照りつける暑い日であ
った。われわれトヨペット軍団は、昭和寮を出て時津海水浴場に向かった。国道脇に車を停め、ひとときの間海水浴に興じた。そろそろ帰ろうと国道に出ると、車の脇に小柄でちょっと太ったお巡りさんが立っているのが目に入った。海水浴客の安全のために立っているのだろうと思いながら車に近づいたとき、
お巡りさん「この車は・・・アンタのかね?」
と、いきなりそのお巡りさんが私に尋ねた。
檜原「ええ、そうですが?・・・」
お巡りさん「ここは駐車禁止になっちょるばってん?」
檜原(驚いたように)「えッ!ここは駐車禁止ですか?」
お巡りさん「うん」
檜原「すみませーん、僕たち京都からドライブしてやってきて、ここは初めてで判りませんでした・・・」
お巡りさん(京都ナンバーをしげしげと眺めて)「ヤッ そうですか!それはご苦労さん!」
直立不動で敬礼するお巡りさんに見送られながら、われわれは意気揚々と昭和寮に向かった。

ーその2−
 いつものように、寮の食堂で朝食をかけ込むと、加福、江原、長田、清水、岡部、檜原の6人はトヨペットに飛び乗って7時35分に昭和寮を出た。
 その頃の道路は今のような渋滞はなく、20分で水の浦の会社に着いた。月極の駐車場などはなく、神社前辺りのバス通りに路上駐車していた。
 その日は、いつもより少し遅れ気味であったので、焦りを感じながらトヨペットを走らせていた。旭町の橋を渡るとき、いつものように交番のお巡りさんが橋の上で両手を後ろに組んだ姿勢で所在なさそうに立っているのが見えた。橋を過ぎて三菱電機の門の手前まで来たとき、われわれの車の横にくっつけてきた小型トラックの助手席の男がこちらに向かって、
「お巡りさんが呼んでいたゾ!」と怒鳴った。
<時間が無いというのに、何だろう?>と思いながら車を道端に停めて、小走りにお巡りさんが立っている橋まで引き返した。そのお巡りさんは、両手を後ろに組んだ同じ姿勢で前方の一点を見つめて立っていた。そばまで行っても気付かない様子なので、
「何ですか?」と訊くと、お巡りさんは一瞬キョトンとして私の顔を見つめていたが、やがて思い出したように、
「あの車は、何人乗りかネ?」と訊いてきた。
「6人乗りですヨ!・・・車検証を持ってきましょうか?」と私が言うと、
「イヤ、結構」と言ったまま、また前方の一点を見つめるポーズに戻った。
そのお陰でその日は危うく遅刻しそうになり、会社の門の前で仲間の一人が飛び降りて皆のタイムカードを押して廻るという奥の手を使う羽目になった。


ーその3ー
「京都ナンバーの車、停まりなさい!」
バックミラーを見ると、後ろにパトカーらしいヘッドライトが見えた。
<ヤバイ!>と思ったが、慌てずトヨペットを脇に寄せて停車した。
 その日は、例によって海水浴をした後「大文字」に寄ってビールをしこたま飲んで寮に帰る途中、魔が差したのか電車路を避けて親和銀行本店の処から一筋裏の通りに入って女子商業の横を過ぎた辺りまで来ていた。
 パトカーが後ろに付けて停まり、警官が二人出てきてこちらにやってきた。
警官「どちらに行かれますか?」
檜原「昭和寮に帰るところです」
警官「免許証を・・・」
私は出来るだけ平静を装いながら、免許証を警官に渡した。50歳くらいの年輩で貫禄のあるその警官は免許証をしばらく眺めた後、
警官「以前の住所を言いなさい」
と言った。私の免許証には、学生時代の下宿の住所が見え消しで残っていた。私は警官の意図が判り、緊張して暗唱した。
檜原「京都市左京区・・・」
何とか巧く言えたように思った。
警官「あなた、飲んでますね? 顔が赤いですよ」
檜原「イエ、これは海水浴の日焼けです」
警官「目の縁だけ赤いですよ」
檜原「・・・」
警官「誰か運転を代われる人はいませんか?」
私は全員飲んでいることは知っていたが、車内を振り向いて、
檜原「誰か運転できるか?」と訊いた。全員首を横に振った。
警官「フーン、それでは此処でしばらく酔いを醒まして帰りなさい」
そう言い残して、二人の警官はパトカーに乗って去っていった。
われわれは、二人の警官の心温かい行動に感謝しながら無事昭和寮に帰り着いた。(完)