見習時代の思い出 火鉢事件
加福 正也
 39会の中にブルーのトヨペットクラウングループが出来たのは東京本社での新入社員集合教育期間の宿舎であった代々木会館である。二段ベッドが6組 計12人が同じ部屋に詰め込まれた。部屋割りを決めたのはどなたか何を基準に分けられたのか真相はわからぬが、私と同じ部屋に1500CC6人乗りのクラウンのオーナー、おとうちゃんこと檜原さん、入社の初日から誰も知らない長崎の街や昭和寮のことまでなぜか詳しく説明してくれたパンちゃんこと江原さん(その時すでに昭和寮の住人だった)、優しい言葉遣いが第一印象の佐伯さん、東京の街に即馴染み深夜に「帰ったぞー」と大声で挨拶をしていたカツどんこと清水さん等が居た。東京から長崎に移動し昭和寮での同衾者?(加福―三好)(檜原―岡部)(佐伯―長田)等が自動的に加わり「花咲くグループ」が出来た。[花咲く]とはクラウンのナンバーが“87−39”であったことによる。 何をするのもどこへ行くのもこの一台の車を中心に行動していた。まず通勤の往復(会社から支給された定期券を各人が現金に換えてプールしておきガソリン代に充当)、加津佐や轟峡でのキャンプ、九州横断道路のドライブ、博多への映画鑑賞等々この車のお陰で行動範囲が広がるとともにグループ仲間の団結は強かったと思う。檜原さんがこの文集に投稿されている「トヨペットとお巡りさん」に記載あるとおり、よく飲みに行ったがいつもこの車、店は新地にあった酒蔵「大文字」に決まっていた。ママと絢美ちゃんと馬鹿話をするのが楽しくて本当によく通った。その都度メンバーが一人、二人は入れ替わることはあったが車の定員いっぱいのいつも5〜6人。呑み助も下戸も完全に割り勘で給料日に精算である。給料の手取りだけでは支払えない月があり、さすがに飲み過ぎを反省したこともあったが、暴風雨の日にも「こんな日は他のお客さんが少ないから・・・」と屁理屈をつけて飲みに行くような状態であった。いつしか「大文字」では何故か「木曜日の男たち」と呼ばれるようになり木曜日は必ず行くようになった。そして7月9日の木曜日を迎えた。その時火鉢事件は起こった。

この日の参加者は檜原さん、三好さん、江原さん、清水さんと加福の5人であった。三好さんは加福と同じ109号室で大人の雰囲気が漂う紳士で飲み仲間と行動を共にされることは少なかったが何故かこの日は一緒だった。例に違はず酔っ払って深夜にクラウンで帰寮した。5棟の入り口まで来たとき5人のうち誰が言い出したのか記憶にないが「この火鉢を入り口に積み上げよう!」「よっしゃ!やろう」と5人の酔っ払いは重たい火鉢を一個ずつ「ヨイショ ヨイショ」と5棟の入り口に積み上げてバリケードを作った。これらの火鉢は冬になると各部屋に暖房用として一個づつ配布される予定のもので5棟の入り口近くの廊下の窓際に整然と並べてあったものである。何故こんな馬鹿なことをしたのか理由は覚えないが酔っ払いの馬鹿力ですべてを積み上げた。翌朝その火鉢の山を見て「馬鹿なことをしたなー」と照れくさいのを抑えて出社したことを覚えている。そして夕方寮に帰ってくると寮の管理人室へ出頭せよ!と。おかしいな?誰が犯人か判らないはずなのに寮内に内部告発者が居たのであろう。三好さんを除く4人はクラウンで一緒に帰ってきたので雁首そろえて管理人室に入ろうとした時にちょうど長田さんが我々より少し遅れて帰ってきたので「長田さんも一緒に怒られようよ、一人足らないし、クラウングループの仕業とばれているのだから・・・・」と誘い入れた。寮長さんのお叱りの言葉は覚えていないが、悪事に参画していないのに怒られる時には一緒に参画するという仲間意識がこのクラウングループにはあったことが忘れられない楽しい想い出である。