新入社員集合教育(本社)の想い出
加福 正也
  大学3年の時そろそろ就職希望の会社を決めなければと考えていた。地元の新三菱重工KKは当時最優良企業として学生に人気があった。関西で生まれ育ちそのまま神戸に勤務するのでは我が人生に変化がないし、誰かが同社を志望したら成績の悪い俺は譲らねばならない〔学科内で一社に一人推薦〕ことは明白であったから、いずれ合併して同じ会社になるのだからチョンガーの間は長崎で生活し神船に転勤してくるのがよさそうだと三菱造船KKを志望することにし、親父に相談すると「三菱はお前に向いているだろう。日立のようにがめつい会社よりも・・・」と言われ長船配属を希望することにした。
 入社試験で筆記試験がなかったのが幸いして無事内定書を貰った。就職は内定したが卒業するのが一苦労だった。何科目か追試の追試を受けてようやくお情けで単位を貰い、勇躍上京し丸の内での新入社員教育を受講した。最初の5日間ぐらいは三菱造船の新入社員だけが会社の幹部からいろいろ教えられたのだろうが内容は100%記憶にない。
 そして6日目ぐらいに三菱商事KKの立派な講堂で三菱三重工の新入社員全員(400人位?)がそろって受講した時のことである。三菱造船KKの丹羽会長から「皆さんは三菱マンになったことに誇りを持ちこれからはスリーダイヤのバッジを常に胸につけるようにしなさい」という趣旨の話が終わり、司会者が「質問のある方は挙手をし所属と名前を言ってから質問してください」と言うや否や「ハイ!長船の村岡です。会長はいま我々に三菱のバッジをいつも付けろと言われましたが会長が付けておられないのは何故ですか?」と厳しい質問が出た。会長は悠然と「私の現在の立場上、バッジを見て寄ってくる人も居て・・・・・。」と答えられたように記憶するが、その内容よりも自分と同じ新人長船マンの中にこんな雰囲気の中で堂々と質問できる奴が居ることに驚きすぐ名簿を見た。「村岡弘文 東大」とある。なるほど!東大卒のエリートなんだ。この講堂の椅子は映画館のようにフワフワして立派だからよく眠れて楽だと碌に話も聞かずにのんびり構えていた自分が恥ずかしくなりその時だけちょっぴり反省した想い出があります。村岡さんアリガトウ!
以下蛇足:スリーダイヤのバッジは25年勤続し「金バッジ」まで貰ったがバッジに関する特別の想い出は長船に赴任してすぐ初めて行った銅座の店で「三菱の赤バッジの人は付けでいいわよ。出世払いで」とママさん言われたことである。“長崎ならでは”のことだろう。またスリーダイヤの青バッジがあると知った時は「なんと差別化の激しい会社よ!」と思った。見習甲、見習乙という表現にも同様の認識を持った。見習丙や丁稚のような見習丁がなかったからまだましであろうか?

2002年11月記