昭和39年4月1日に東京本社での入社式以後本社および長船(稲佐記念会館)での集合教育と現場実習を終え6月1日から各課に配属になった。配属先が決まる前に各部の部長との集団見合いもあったが実際にどこの課に配属になるのかは発表の日まで全くわからなかった。発表の日には名前と配属課が読み上げられた。印象に残っているのは
「島野佳伸 勤労部給与課」 一番に読み上げられたので全員がわっと沸いたのか、給与課という名前がこれから全員がお世話になる課だから沸いたのかは不明。
「神野信行 ディーゼル部大型設計課」「長田道昭 ディーゼル部中小型設計課」と続けて発表された時大きな歓声が沸いた。大柄な神野さんが大型設計で背の低い長田さんが中小型という組み合わせが絶妙であったからと思われる。「火力建設部火力技術課 企画係 小川俊典」「火力技術課計装係 岡部英雄」「火力技術課計装係 加福正也」
同じ課に同時に3人も配属になったのは火力技術課だけであったと思う。火力技術課長は「同時に3人も息子をもらえてほかの課長から妬まれたよ」と後日話されていた。しかし小川さんは39会のメンバーの中で一番早く亡くなったし、岡部さんは特殊機械部に配属になった松浦さんが「魚雷を造るなんて性にあわない」?と早く退職されたため特殊機械部へ転籍。加福も2年後には火力建設課に転籍と3人とも孝行息子ではなかった。
火力技術課という呼称は何となく女性にもてそうな感じがしたのであろうか岡部さんと二人で「俺は火力技術課配属になったぞ」と自慢げに話したことを覚えている。人気がなかったのは製缶一課(長船では缶詰もつくってるの?)検査課(なんか病院みたいね)工事課(どこの道路工事するの?)等であろうか。
6月から火力技術課に配属になったが、部や課であらかじめ計画された教育が終わると実に暇であった。その上毎日が二日酔い気分での出勤だから本当に眠かった。
(こんな時加福のための替え歌が作られた。曲名は「かわいい金魚」 赤い顔した
二日酔いの加福さん おめめが覚めたら 帰りの時間)
その時役立ったのが39会の仲間であった。55人の仲間が大体各課に一人づつ配属になっていたので眠気覚ましに誰かの課を尋ねてだべりこんで時間をつぶした。さすがに現場にまで足を運ぶことはなかったが第2事務所と第3事務所内をぶらぶらした。ある日上司から「二人でこの英文を翻訳してくれ!」と指示された。二人とはもちろん岡部、加福ペアである。「俺は英語が嫌いだから工学部へ行ったのに・・・・」とぼやいていると「赤尾にやってもらおう」と相棒が名案を出しすぐに二人で総務部翻訳室?へ急いだ。英語で飯を食っていこうという赤尾プロにとっては易しいもの。すぐに翻訳してくれた。赤尾さんアリガトウ
2002年11月記
