私の見習時代
(ドッグフードを人間が食べたらどうなるかの一実験)
  記憶力も衰え、遠い昔のこと、なかなか思い出せません。
昭39年4月入社式での岡野保次郎氏の「禿げたくなかったら、ブラシで頭皮を叩け!」は、鮮明に覚えています。
成富氏は実行し、小生は挫折。もちろん現在、禿げて髪の毛はありません。

東京駅から急行座席列車「雲仙?」で、一昼夜 揺られて長崎着。
当初からの希望も地の果て「長崎」だったが、あらためてS字状に曲がった列車止めを駅構内で目の当たりにすると、やっぱり地の果てまで追い遣られたなあとの感は強かった。
しかし「長崎よかとこ、一度はおいで……」 
人情はこまやか、実に自由・勝手な寮生活を送ることになろうとは、このときは予想だにしませんでした。

 配属先は、舶用ボイラ設計課(原口課長)、指導者は4年先輩のハリキリボーイ坂本靖夫 技師であった。
原動機部関係への39年甲の配属者は(記憶に間違いなければ)陸タ檜原氏、陸ボ中村氏、舶タ松沢氏であった(プラント関連部署ほかには、多くの仲間が配属されていたが)

DDG あまつかぜ(ボイラ:IHI)に乗艦し、興奮したことを今でも思い出す。
1機−1缶、2機−2缶 とタービン/ボイラ室が夫々区切られており、試運転でのデータ計測時に、狭い階段・ハッチの昇降・出入りの繰り返しであった。

 また、長船製(艦艇、タンカー向けほか)舶用ボイラについても、耐火レンガの多いCE社V2M型から、全面水冷壁のV2M−8型への移行期であった。
負荷変動の激しい小形高負荷舶用ボイラ(水冷壁構造)の動特性を解析・勉強のため計装研究課(相楽指導技師)に、里子に出された。

 相楽大先輩の指導の下、伝達関数を駆使しての机上での動特性解析の理論式構築が主な作業であった。難しくて退屈であったが、なんとか見習発表用論文の原稿を書き上げた。
時を同じくして、デ設 長田氏も計装研 磯村氏に師事していた。


やっと終わった!! と、小躍りし、課長以下の計装研の皆さんにお礼をすることとなり、金もないし、何か面白いことをとの発想から「動物も食べられるビスケット」を3時のお茶請けに出すことにした。
現在のものよりはまずかったと思うが、一番多く食べたのは某課長、そして磯村指導技師とのことであった。

もちろんすぐ判明し、上司の舶ボ 原口課長には、こっぴどく怒られた。
後日(翌日ではなかったと思うが)課長に同行の上、計装研に謝りに行った。
長田氏がどうしたかは、よく思い出せない。
今から考えると、よく首がつながったと思っている。
しかし、ひどい下痢などで病院に運ばれた・行ったとの話には接していない………。
これが主犯 長田氏、共同正犯 北村の「ドッグフード事件」の顛末である。


【追記】

小生の若気の至りであった頃の「208号室美女忍び込み事件」を含めた桃色騒動については、いろいろ尾ひれがついてそれなりに面白いので、特に反論・異議申し立てはしないことにします。
忘却の彼方から、当時の現実のみを抽出することが出来なくなってきましたので……。
(あれは作り話だ、いやいや あの件は誰にも知られていないぞ………と1人ほくそえんでいるこの頃である)

元 計装研の 囲碁の強い・学究肌の 林 泰道氏 の名句
「 銀の玉 いつか成りたや 金の玉 」 には遠く及びませんが、長田氏の返句に倣い

『 よか音色 二胡の金玉 今は1個分はなかりけり 』(字余り駄作)

(作:Kintamura)

をもって、締めくくることとします。

2002.11.29記

北村 政雄