事業所研修旅行
長澤 良介
  加福さんから文集の言い出しっぺのお前が書けと言われたのが、この研修旅行のこと。三十八年前の出来事はあまりにも遠い昔の話。広島での研修の日が東京オリンピックの開催日で、どこかのテレビで世界各国代表の華やかな行進が行われていたことを思い出す。
(そうだよな。あれから三菱重工勤務が始まったんだよな。それから色んなことがあったな。同期入社の連中は相変わらず仲良くて東に西にと同期会を暇を見つけてはやっているよな。皆んな病気と健康のことばかり話するようになったよな。歳を皆取ったけど気持ちは相変わらず若いよな。三菱重工って良い会社だったよな。入社以来良い先輩・同期生・後輩が居て、この会社を選んで良かったよな・・・)
そんな思いの中で、三菱重工が昭和三十九年六月に合併して誕生した年に行われたこの研修旅行は、われわれ会社生活の歴史の一コマを飾る出来事であったようだ。
その前の年に三菱造船入社の三十八年組までは、東京での入社教育の後、事業所である広島・下関・長崎で二ヶ月くらいかけて研修旅行が行われていたが、折からの不景気で会社の業績が悪くなった故か費用が削られ、我々の年次からそれが無くなり、東京での教育が終わると直ちに事業所に配属になった。東京発の急行「雲仙」の座席車に乗せられ、各々の配属先に応じ広島・下関で下ろされ、長崎で五十余名が下車したのは、東京を発って何と二十四時間後であった。(釣った魚にはエサをやらぬとはこのことかと当時の三菱造船という会社にちょっとばかりガッカリさせられたな。)下車後は各々の事業所で研修を受けるというやり方が行われ、三十八年組に比べ大分待遇が悪くなったという印象を持ったものだ。
当時教育課の課長一歩手前に森田小平治先輩がおられ、あまりにも三十九年組は可哀想と同情されたのかどうかは分からぬが、合併もしたことだし他の事業所も見学させるという趣旨で、その年の秋に京都・広島で三泊四日(中車中泊一泊)の研修旅行が行われたと記憶している。小平治先輩は、大変に民主的な人で当時型破りの勤労屋さんで、我々まだ学生気分が抜けない輩をうまく制御し、兄貴のような存在で我々同期生は今でも森田先輩のはじけるような笑顔と大きな声を忘れることが出来ない。東京三九会が先に小平治先輩を丸の内の地下にお呼びした様子がメールで紹介されたが、相変わらず元気なご様子で、改めて当時我々ジャジャ馬をよくもうまく調教して戴いたという感謝の気持ちがこみ上げる。
研修旅行は「一揚げ千円」のような不祥事も起こらず天候にも恵まれ非常に楽しく終わったような記憶がある。京製のエンジン工場を見たり、広船・広機に行ったこと、京都見物の最中に長田君と舞妓さんの後をまとわりついて迷惑がられたことなどが断片的に想い出されるが、遠い昔のようでもあり昨日のようでもあり、あの楽しかった思い出が今も我々三九会の青春の血をたぎらせ、三九会の栄光の継続に大きく寄与しているのかも知れない。

来年、久しぶりに東西合流の三九会が伊豆で開催されるが、この研修旅行以上に楽しいものになるであろうと心より期待している。

平成十四年十一月二十二日記