8月28日 真夏とは言えこうも暑いと人間の住む世界ではない。しかし半年ぶりに里帰りするとなると身も心も浮き立つから不思議である。東京15時発の「ひかり」であったが愛車を修理工場へ出す用事もあったので早目に家を出た。この車の修理というのがまた泣かせる話であって、実は長崎まで学割で行こうと計画を立て博士課程の友人宅を訪れたとき前輪で大きな石を掘り起こしドア下部を凹ましたのである。結局この修理は5000円かかったから、学割で旅費が2500円程度安くなったとしても2500円の赤字となってしまった。策士 策に溺れるとはこのことである。東京駅に着いたのが12時であった。地下の名店街で鰻丼を食ったがこれは旨かった。以後3食連続して鰻丼を食ったがこれに勝るものはなかった。外の喫茶店で葉書を書こうと思い八重洲口に出た。
灼熱の太陽の直射とアスファルトの照り返しおまけにものすごい人の波都会というのはどうしてこうも人が多いのか不思議でならない.量は質を決定するからそのうちうまいチャンスがあるとでも思っているのだろうか。八重洲ビルやソニービル、学生時代寄付集めによく通った懐かしいビルディング、懐かしい名前が飛び込んでくる。今じゃ相模の流れ者だから昼のこんな時間にこんな場所に来るのは思えば3年振りのことである。自工研OB誌の原稿を頼まれていたのでうす暗い喫茶店に入り一生懸命にマンガや女の子のことを書いていたら、ウェイトレスの女の子がやたらと水の交換に来る。よく考えてみたら盗み見してはニヤッと笑っているのである。この道ばかりは男も女も好きなのである。新幹線、「あかつき」と乗り継いで行ったのだが同席には全く恵まれなかった。卒業してからずいぶん旅をするようになったがそのたびに同席する人には多大の希望をいや期待を持っているのだが少しもいいことがない。人によっては凄い美人と一緒になり旨く行くことも多いのだが、俺はやはり不幸の星の下に生まれているらしい。
8月29日 朝7時45分、長崎へ着いた。道の尾あたりから若かりし昔遊んだあの森、あの道が思い出されぐっと胸が詰まってきた。長崎駅の改札を出るとK嬢が迎えに来てくれていた。僕はモテル方じゃない。ただ無理にモテさせている。いうならば努力型である。天才型はツレない素振りをすればする程女の方からのぼせ上がってついて来るのである。僕がそんなことをしたら女の方でもっけの幸いと逃げて行ってしまう。それぐらいの差があるのである。K嬢との関係だが彼女とは兄妹みたいなものであって異性間の愛情などはない。いろいろな身の上相談をしたり、されたりするだけである。こんなことをくどくど書きたくないが、彼女に迷惑がかかると困るからである。僕はどうせ永遠の青年、永遠のチョンガーだからたいして影響はない。しかしながらこの時は彼女のパラソルに入って暑い日射の中を歩いてまんざらでもなかった。永遠の若さは若き女性から得られるのである。この日はいつものように定時で帰ってくる江原さんを待って寮の飯を食い風呂に入り、サッポロジャイアンツを2本前祝いに前夫の佐伯さんの部屋で飲んで気勢をあげた。神戸出張中の加福さんがいないのでエロ歌がなくちょっぴり淋しい気もした。清水は相変わらずあの骨ばった細い身体でばかでかい大声でわめいていた。(加福註:エロ歌と言わず艶歌と表現してもらいたいですね。確かに替え歌専門でよく騒ぎました。その時の罪滅ぼしに艶歌(替え歌)を添付いたします。別ファイルをご参照ください。)
8月30日 同じく帰省中の中安と経理部の先輩西村さんの新婚家庭に夜行くことにしていたが、中安はシロウトキラーの名にたがわず日夜うごめきまわりそのヒマがなくなり、しかもそれがわかったのは朝めざめた10時ごろだった。一計を案じて朝駆けをすることになった。西村さんが結婚した時中安とはかって進呈した「二人の愛の夜のために」というプレゼントに対する効験確認のための訪問であるが朝飯を食いに行くアイディアとは我ながら悪知恵の発達しているのには呆れた。中安は顔を覚えられているので玄関には僕一人で入って行った。「おはようございます、実は私、車のセールスマンでございますがお宅のご主人にこんな車はいかがでしょう」と言っておもむろにキャタピラー三菱のネームが入ったネクタイピン(馬鹿でかくて英ちゃんしか似合わないようなしろもの)を奥さんに差し出した。丸顔でかわいらしくいかにも初々しい英ちゃんの若奥様は一瞬ドギマギしてポカンとしている。こんなかわいらしい女性と結ばれたなんて英ちゃんは果報者だと思った。あまりいじらしいので「実は私はこういう会社のものですが」と桐箱の上の名を示したらとたんに「あっ」と小さな口元をぽちゃぽちゃとした手でおさえ「長田さんですね」と一発でばれた。英ちゃんの女房教育はかなり徹底しているらしい。中安と二人で礼儀正しく上にあがり朝食をねだったところ主人が全部食べてしまってないから近くからパンを買ってきますとのこと。西村さんにはいささか悪いような気もしたが、ここで甘い顔をすると悪童の名がすたるわいと心を決めて待つことにした。久しぶりに食べる普通の朝食だったから旨かった。結婚アルバムをひもときながらああでもないこうでもないとさんざん西村さんをけなしたが、奥様の方は幸せ一杯なのか平気な顔でニコニコ笑っている。そこで一芝居うって実は二人とも長崎の女性との話を具体化するために帰って来たのだとまことしやかにふきこんだところ、これが受けて奥さんはまたうれしそうに「それはおめでとうございます。早速主人と相談して何かさせていただきますわ」とすっかり本気にしてくれた。(長田注:中安は本当に具体化するための動きであったが、それはあとで知った。本当の色男には到底かなわないのである)。
そもそも女は結婚にその幸福を賭け、男はその自由を賭けるのだから、女が幸福ということは、男は自由を失っているのであり、男が自由であるとき女は幸福ではないのである。したがって婚約した時おめでとうと言われるのは、皮肉に取れると思うがどうであろうか。とにかく散々好きなことを行って2時半ごろおいとまして、僕は会社へ中安はデイトに行った。半年ぶりの会社は何となく違和感がある。第1事務所から入り教育課の森田さんにまず逢いに行ったが留守なので営業の松田さんのところへ行く。先輩と言うものは良いものでどんな忙しい時でもいやな顔もせず、付き合ってくれる。次に古巣のディーゼル部へ行った.全く懐かしいところであり昔のままで皆が迎えてくれた。仕事が面白いと言えないのが唯一の心残りであるが元気な諸先輩の顔を見ると急に元気が出てくる。技師1年生の頃計画設計した45型パワーアップ機関が3台稼動していると聞いて我が子の便りを聞くように嬉しかった。こんなことからも浪花節と言われるのかもしれない。5階の檜原さんのところに行ったらムツゴロウが「さくら」に迎えに行ったと言われてびっくりした。だいたい迎えに来てくれること自体身にあまる光栄であるが、長崎の人の親切さ義理堅さ改めてびっくりし、かつ恐縮した。そうした観念が半年の都会生活ですっかり忘れてしまった自分にイヤ気がさした。これは残る10日でイヤと言うほど味わされたが、自分という人間が昔と少しづつ違ってきたことを感じてわびしかった。 (本稿は加福さんならびに中安さんのお手をわずらわした電子化であります)
