見習甲明けのパーテイが東亜閣で開催されました。 あのころは見習いが長船では所長の次に偉いと自覚しておりましたので一抹の寂しさはありましたものの、粛々とパーテイは進行しておりました。 39会らしくパーと盛り上げようとテーブル毎に出し物を出す事になりました。
場面は進んで事務屋のテーブルに番が回ってきましたが、事務屋は論多く芸なし、仕方なくそばに居た仲居さんをワッショイワッショイと胴上げしてしまいました。 周りの人も加わって何が何やら分からぬうちにおっことしてしまった、ひと上げ1,000円の顛末です。 仲居さんは相当に痛がっておられたので、すぐに医者に運び込み医者と看護婦からコテンパーに怒られました。 責任を感じてみたものの後の祭り、責任の一端を東亜閣の社長に負ってもらおうと思ったかどうかは定かではないものの、社長に助力をお願いしたら、又コテンパーーーーー。逆恨みもはなはだしいのですが「同期から所長が出たら東亜閣は絶対使うな、潰すべき」と息巻いたことを覚えております。
幸いな事に誰も所長にならず、東亜閣は自然消滅しました。 私が経理部長になつたとき、それまでは神でも行くものかと思っておりましたが、東亜閣で会食があり、その時この顛末を仲居さんに話したら「あなたたちですか」と態度が急変しました、後遺症は相当な物です。
反省を込めて申せば、 週に2回当番を決めてお見舞いに行きましたね、彼女はもともと骨が弱く電気治療をしているのを、その時知りました。 たまたまいたダンナからビールを御馳走になってホツとしたことを覚えております。 不参加者もいたのに、皆さん快く1000円出してくれました。 朝田さんなんか参加せずすみませんでしたと出してくれました。今から考えれば当時の手取りは12000円程度でしたから、1000円は大変な金額です。 それを休業補償、お見舞いの花代にしたようです、誰が音頭をとったか不明ですが、出沢氏ではなかつたかとおもいますが。
後日談ですが、時の課長から、やったことは悪いが始末の付け方がすばらしい、「安全保安課も問題にしようがないな」と変に誉められたことをおぼえております。 すべて39会の団結の賜物と感じ入っております。
