昭和寮時代の想い出
佐伯 栄一
昭和寮には3年7か月お世話になった。 昭和寮時代の想い出は?と問われれば、何はさておき「8739車」であちこちに連れて行ってもらったことである。 ワイワイガヤガヤ、最高に楽しかった。
長田絵日記に出ているラリーのほか、佐世保へのドライブ、多良岳でのキャンプ等の写真が残っている。 不思議なことにその時長田さんはいつも美女とのデートだったようで、一緒に撮った写真はまったく存在しない。 また、九州一周自動車旅行も僅かながらではあるが記憶がある。 見物場所や風景は全く思い出せないが、大雨が降って難渋したのと非力ながらクランクで懸命にエンジンを回そうと努力したのを何故か覚えている。
林宏君のこと
私は集合教育が終わるや否や、立神の一角で実施中の大型溶接試験を手伝いに毎日立神に通った。そこで初めて?林宏君と出会って同じ39年入社だと知った。 彼はすでに平戸小屋寮に移っていたようで、昭和寮での記憶は皆無である。
登用論文が済んで4月を迎えると、私は船殻工作部に「加勢」となり、林宏君のそばで仕事をすることとなった。 彼は写真のようなスタイルで、お世辞にも上手とは言えない英語を駆使して船主監督と対等に渉りあっており、そのバイタリティは敬服そのものであった。 その頃私は溶接の自動化や高能率化の仕事が主であったが、品質管理も重要で課題が生じると時には夜を徹しての作業となった。
日曜日もおおむね月に2回は出勤となり、それに反比例して昭和寮での楽しみは少なくなりまた付き合いも悪くなってしまいました。
林宏君は仕事熱心だけではなく、結構面倒見も良かったように記憶している。 彼の所属する係には独身者は彼のほか「増田さん」と「本田さん」、それに加勢中の佐伯を加えて4名であった。 彼はこの4名を以って「チョンガー会」なるものを組織して熱心に活動しました。 夕食会とかハイキングが主ではありましたが、私にこのような写真があること自体不思議でもあり、彼の尽力の結果であると思っています。
その彼は早めに西方浄土へ行ってしまい至極残念です。 林宏君の隣は本田さん、彼はスペインで開催された「技能五輪」で、アーク溶接部門の「ゴールドメダリスト」。 アマチュア無線仲間でもあった彼も早世してしまい、こちらも残念です。
モールス信号のこと
昭和寮生活も3年経過し、同期の皆さんも半減したころ、神戸の母から3人の見合い写真が送られてきた。 このうち2人は良く似ていたので、「二人分しか入っていないが...」と電話したところ、「写真ではよく判らないだろうから長崎で見つけては」ということになった。
しばらくして親切な方から一人の女性を紹介され、付き合い始めた。 彼女の家は昭和寮から近いことが分ったので、「光で交信しよう」と私にしては飛びっきりロマンティック?なことを持ち掛けた。
5棟の屋上が不浄な事件でこの考えに不釣合いなほど汚されているとは全く知らなかった。 暗くなった頃打ち合わせの時刻に屋上に出て、懐中電灯の光で「ツートツートツーツトツー」とモールス信号を送ったところ、相手からの光が「ツーツーツー」と確認できるではないか。 続いて「トツートトトツートツート」と送ると、「ツーツーツー」と返ってきた。 その時彼女にモールス信号を教えると結構実用になるのではと思いましたが、すぐに結婚してしまったのでまだ教えていません。
終