多分夏か秋頃の日曜日だったと思う。
昭和寮の昼飯を食べ終わり、寛司さんの部屋に中村さん外5-6人が集まり雑談をしていたところ、寛司さんがふと「毎晩銅座で酒ばかり飲んでいては体が持たん。健康な遊びでもして汗でも流そうや。おいがゴルフを教しうっからやりたかもんは一緒に来んね。」と言い出した。
彼は学生時代に親から「社会に出たら人との付き合いにゴルフぐらいは必要になるぞ。」と言われ、練習をしてきたそうだ。その彼が「見習甲も将来偉くなるんだから今の内ゴルフをやっておくのは無駄にならん。皆で行こうや。」と提案してきた。当時居合わせた誰もがゴルフなど金持ちのお偉いさんの遊びと思い込んでいたと思う。
誰の車かは忘れたが、早速車に分乗して諫早にある長崎国際CCに行った。車庫に車を止め、彼のゴルフクラブを担いで受付を通らず従業員用の横の通路から練習場に向かった。受付を通ると入場料(練習料)を取られるとのこと。打ちっぱなしの練習場の側まで来ると、彼が「アッやばい、伏せろ。部長が来ている。」と言って、皆でつつじの植木の陰に飛び込んだ。練習場では橋本部長や岡部長ら船関係者のお偉方がスタート前の体慣らしをしていた。部長らが立ち去るまでそこでじっとしていた。当時ゴルフは所長室や部長クラスの遊びだったのだと思う。
いよいよ練習が始まると彼が英文のゴルフ練習図解書を取り出し、グリップの握り方はこうだ、スイングは一つの平面になるように等々英語を訳しながら図を持って我々に解説してくれた。しかし置いたボールが中々当たらず,当たっても真横に飛ぶやら大変苦労させられたが、彼のコメントは「皆中々素質があるぞ、後2−3回やれば皆上手くなる」と我々を励ましてくれた。この頃から彼には管理者の素養があったように思う。練習が終わると「風呂に入って汗でも流して帰ろうや」と元々入場料すら払っていないのに、ちゃっかり風呂にまで入って昭和寮に帰った。時には車が無くて昭和寮前からバスで諌早まで行って練習したことも記憶している。
これが我がゴルフの始まりである。
その後結婚してからも寛司さん御夫婦や中村(現福中)さん御夫婦ともゴルフ付き合いをしてもらった。
心から感謝申し上げる。
