メール長崎回想 (昭和39年)
●長崎駅ホーム:長崎駅のホームでいままさに新婚旅行でインドへでかける内田ご重役の窓に悪さをしたのは、あれは落書きではなく、産児制限用の男性具を貼り付けたと記憶しています。たしか小平治閣下が鉄道公安委員にもらい下げにきてくれたようでした。(長田)
●中安さんが長崎を離れるとき、駅のホームの陰で泣いていた和服の女性が居たが、その女性は今の奥様ではないそうです。奥様は、「さくら」の寝台の中安さんの下に寝て居られたそうで、その後、奥様から「銀座に出てこない?」と中安さんに電話があり、出ていったら結婚することになったのだそうです。ちょっと巧すぎる話ですが、驚いたことに、仲人に長田さんが選ばれたそうです。これは、我々には初耳でした。「それで、よくぶち壊れなかったナ」と野次った人がいました。「その話、文集に載せろ」と言った人もいました。「駅のホームの陰で泣いていた女性はどうなったのか?」という質問の回答は、「小浜の方に嫁いでいった」とのことでした。その後、出席者が一言ずつ中安さんにコメントしましたが、昭和寮時代に中安さんと一緒に何かをしたという話があまり無いのが意外でした。ご本人の話では、仲間のどのグループにも属しておらず、専ら女性のみを相手にしていたそうです(檜原氏)
●中安氏の長崎:実際彼は乙女心をうまくつかむのに長けていました。それゆえ、美女年鑑も充実とみております。彼の親父さんは私の高校の大先輩。妹さんは高嶺の花の美人。寝台車の彼女の件での橋渡しの時は、持てる色男の行状をばらさぬやう、柄にもなく緊張しました。実際、中安氏と北村氏は、攻め方は相当違いますが、その道ではいずれ劣らぬ双壁でありましたねえ。現在の奥様は(昔も今もおなじお方ですが)、彼の華麗な業績はまったくご存知なく(おそらくあなたの過去など知りたくないわとのことでしょう)、彼との愛一筋であられます。そういえば、あんな短い期間だったのに、わかいころの松亭の好子さんとも面識があったとか。好子さんといえば、南條氏もチラリホラリと顔をのぞかせます。わかい頃の好子さんの写真がないか問合中です。でも、出てきたら加福さんに悋気されそうであります(長田)
●ある人は寝台車で袖ふれあったのが縁となり、ある人は奄美大島への船酔いで恋ごごろが深まったりと逸話は多いようですね。これはご本人さまより、記念公開がいいようですねえ。
●新婚ストーム:出澤氏の奥さまより『ニンニクおろし、リンゴおろし、ジンギスカン』ストームがかたられました。すると次々にその頃の若々しいお話がよみがえってきました。白石氏の奥さまが新婚旅行帰りのその日の新居で、出迎えの駅からおなじタクシーで帰宅して居座った悪童に酒・肴を強要され、、布団袋からなけなしのつまみを取りだし、そのまま狭い台所からずっとでられなくなったとか。このストームには、南條氏も同行していますね。このほか、ストームにおびえて実家に逃げ帰った新妻事件も複数のようです。資生堂の上品なチャームガールだった岡部カアチャンが、あまりのストームに涙とともに、実家に飛んで逃げ帰ったのはダンナの独身時代のツケを払わされたようなものでした(ツケを払わないで済んだ東京組もいますが)。檜原カアチャンによれば、檜原家ではストームにそなえて布団はひかず、寝巻きにも着替えずの生活だったとのこと。それでも子供は出来たのでした。これらは、記録があれば面白いのですが、一揚げ3,000円事件と同じで、大きな事件のは、記録も写真もないようですね。この一揚げ3,000円事件は、大きな出来事でしたが、花束などを持って何回も御見舞などの誠意ある措置で丸くおさまっておりました。
●活水合ハイのお礼にと、森棟氏から仕切役の女性(現出澤夫人)に『ヴィバルディのレコードとなんやら』というキザな贈り物をしたとか。いまも大事に取ってありますとのお言葉をいただきました(長田)
●水洗の水不足:あの夏は、ひどい渇水でした。喫茶店は休業。風呂屋も休業。飲み屋だけはやっていました。オシボリが出たのです。今は水飢饉は聞きません。むしろ時々洪水や鉄砲水の噂をききます。水事情は改善されたようですが、この頃はひどいものでした。東京も長崎もひどい水不足でした。水洗トイレで水がなければ、どうなるか。それは悲惨しかありません。トイレには水の入ったバケツがあり、用を足す毎に各自がそれを使って流すのでありました。ところがそれをしない不届きな輩がおるのであります。すると次のヤツも面倒なので、その上に重ねるのであります。次々に黄金の塔が出来ます。ひどいときは五重塔であります。こうなるとバケツの水では流れません。トイレの前の部屋だった大山氏や白石氏は、こうやって香しい夏をすごしました。
●幻の巨根伝説:だれが最初に言出したかは定かでないが、もはやこれは伝説というより定説になっている。会社から定時に(見習は定時に帰らないといけない美風があった)、専用バスで寮にかえり、夜のご出勤の前に風呂に入る。大きな共同浴場である。ある日、隣りに森棟がすわった。なんだ、かんだと雑談しながら、風呂桶のお湯をザブンとかぶったら、となりの森棟が『熱い。あちーいよ』と言う。風呂でおかしなことをいう。これくらいは当たり前の温度なのにである。もう一度お湯をザブンとかぶったら、今度は『あっちちぃー』と飛びあがったのである。よくみると、腰掛けた風呂イスから、巨大な逸物が股間からぶらりと床までたれさがり、床にながれるお湯が直接先っぽの敏感な粘膜を刺激していたのである。根元からの曲がり、イスの高さ、そして風呂床での仰臥長さとあわせると、まことにそのご本尊は、稀にみる大きさであり、祠に祭るべき荘大さといえる。あまりの大きさに同室の白石は劣等感にさいなまれ、幸せな結婚が出来ないのではないかと短小に悩んでいたが、しばらくして『大事なのは太さや長さではない。堅さである』と得度し、めでたく夫婦生活に入れたという(この項は伝聞による。真偽はさだかでない)
●トヨペットとおまわりさん:楽しく読ませていただきました。三話の中で第一話だけは記憶にないので私は同行していないと思います。写真入がいいですね。あのクラウンが1500CCとは知りませんでした。6人乗りはこの頃ないですよね。また番号が最高にいいですね。87−39文字通り花咲く車だったですね。また39会の華だったような気がします(加福さん)。
●そうでした。「ハナサク」でしたね。次の車「コルト1000」は「長崎そ6279」でした。ある日、佐伯さんから「ソーローニナク」ですねと謂われ悔しい思いをしました(檜原さん)
●来年の39周年記念大会に関連して、長澤さんより「記念に文集を作成しては?」という提案がありました。皆さんからEメールで原稿を取り寄せて編集していただければよいと思います。39周年記念大会の当日、文集を配布出来れば最高です。また、「当日、想い出のエビデンスを持ち寄ってください」という加福さんの説明に対し、「エビデンスなんか無いよ!」という意見が有りましたが、これは、古い写真とか、寄せ書きなどを意味していると解釈すればよいでしょう。まだ時間があるので、これらのエビデンスも出来れば文集の中に織り込んで、当日配布できると素晴らしいと思います。 (No.683 2002-9-9 檜原さん)
●可能ならば、関連情報、あやめチャンや昭和寮の池下さん(水着を縫ってくれたおねえさん。それを出沢氏が試着したなあ)とかも盛りこみたいですね。保険のオバちゃんにモテモテの長沢氏の武勇伝なども…。小平治閣下の真っ裸劇場は、出沢氏が描かれるのでしょうか(長田)
●きっかけとなった連絡(檜原さんのメール以外の主なもの)
ログ番号 |
題 目 |
発 信 者 |
日 付 |
568 |
39周年記念行事(その一) |
大山 敏夫 |
2002-07-15 |
611 |
39周年記念行事(その二) |
大山 敏夫 |
2002-08-02 |
683 |
長崎例会から (その二) |
檜原勇多賀 |
2002-09-09 |
684 |
記 念 文 集 原 稿(その一) |
長田 道昭 |
2002-09-09 |
685 |
39周年記念・文集(その二) |
加福 正也 |
2002-09-09 |
687 |
39周年記念・文集(その三) |
大山 敏夫 |
2002-09-09 |
688 |
39周年記念・文集(その四) |
北村 政雄 |
2002-09-10 |
722 |
文献コピー |
佐伯 栄一 |
2002-09-19 |
●
石崎安良氏メール:皆さんのメールは懐かしく拝見しています。先刻より、溜まっていた皆さんのメールを拝見しておりますが、看過できぬメールを発見。10月16日付け貴信です。カサブランカのカフエの主人リックほどではないにしても、小生も遠い昔のことはほとんど忘れてしまいましたし、インターネットに接続せぬため麗しの女性の写真を見ることもできませんが、関連のメールに目を通した結果、秋の広島工場見学会時の出来事と推定。さすれば、彼女をデートにかっさらったのは、残念ながら、小生に非ず!そんな訳で、白状文はなし、又、白状文を創造する想像力もなし。悪しからずご了承願い度く。ところで、彼女をデートにかっさらったのは誰?告白文をお待ちします。( 10月18日 石崎安良)金の玉 しぼんでたるんで 打ち終わり ( 返句:長田道昭 )
金の玉 いまも元気に 七変化 ( 連句:北村政雄 )
あのころ、計装研の女性は、長澤をみるとうるんだ目になるのに、ドッグフード事件後は、私の顔をみると、プッと吹出して、下を向いて笑いをかみ殺していました。妙な持てかただったような気がします。(長田道昭)
●南條さま:コルト部隊奮戦記をお書きになりませんか。必要あれば久武にも書かせます。なにもないと書きにくいでしょうから、当時脇から車は売らずに貴販売店の女の子にのみ興味のあった私から副作用的な背景と裏事情を書いて、貴個人フォルダーに登記しておきました。弊雑文をご笑読の上、主文の起草をよろしくお願い申し上げます。
●江原さま:月見の宴、なつかしいですねえ。木原氏は、艦艇設計でしたね。あこがれの彼女は、お酒には寛容でしたから、あんなに素直にあやまる必要はなかったのですが、それが江原さんの純情(あのころの)の賜物。貴重な青春のひとこまでした。なつかしいお話をありがとうございました。オカアチャンやあの可憐な娘さんは、この男江原の純情物語をご存知ですか?(長田)月見の宴のころは私も昭和寮にいたのですが初耳でした。江原さんほどの男性をふった女性に会ってみたいと思いました。悪酔いをされることはないと思っていましたが。木原さんと先週久しぶりに会い昼飯を一緒しましたがこの話は聞かされなかったです。(加福氏)