初 恋

 

初恋の人は誰だったのだろう?

候補者は何人か居るが、果たして誰が初恋の人なのか私にも分からない。

小学生時代に異性を意識して興味を持った女性は数人いる。

•  校長先生の娘

昭和20年終戦の年の夏、私は父が務めていた南朝鮮電気株式会社が有った釜山市の第6小学校の一年生であった。

米軍による空襲が激しくなったため、父を釜山に残して、母兄弟3人で近郊の村に疎開することになった。

疎開先の小学校での出来事である。

その小学校は生徒数が数十人で、教室は一つしかなく、先生は校長先生一人だけであった。

1年生から3年生までの生徒は教室の後ろ半分に後ろ向きに座らされ、4年生から6年生が前半分に前向きに座っていた。授業は高学年用と低学年用が同時に行われ、校長先生が教室の前と後ろに行ったり来たりして行われた。

或る日のことである。昼休みが終わって午後の授業が始まり、校長先生が生徒全員にこれからすることを説明しているようだった。

私は、ぼんやりと校長先生の話を聞き流していた。
そのとき、生徒全員が立ち上がって、教室から外に出始めた。

私も慌てて皆の後を追って教室を出たが、生徒たちは履物を履き替えると、校舎の下の方と上の方に分かれて行き出した。

私はどちらに行けばよいのか分からず迷っているうち、下駄箱の所に一人取り残されていた。しかたないので、そこに隠れていることに決めた。

暫く何事もなく過ごせたが、そのとき、誰もいないはずの教室から廊下をこちらに速足でやって来る「パタパタ」という足音が聞こえてきた。

現れたのは、華やかな花柄のシャツとスカートを着た女の子だった。それは私と同学年の校長先生の娘と分かった。

彼女は私を見付けて一瞬驚いた顔をしたが、直ぐ険しい顔になって私に近づいて来て、
「何してるの?」
と訊いた。

私が黙って俯いていると、私の手を取って、
「おいで!」
と言って、私を引っ張って運動場に通じる石段を降りて行った。

運動場には十数人の生徒が居て、思い思いに何か作業をしていた。
その中に校長先生も居て、私たちの姿を見て、
「どうしたの?」
と娘に訊いた。
「下駄箱の所に隠れていた」
と彼女が答えると、校長先生は暫く考えて、
「上の畑に連れて行きなさい」
と指示した。

再び彼女に手を取られて、いま来た石段を登り、校舎の入り口から裏山に登り始めた。
裏山には段々畑が作られていて、数人の生徒が野菜の収穫作業をしていた。
その中に私の四つ年上の兄も居て、彼女は私を兄に引き渡して、直ぐ山を降りて行った。

校長の娘とは、それだけの出会いだったが、明朗活発な女の子であった。

 

•  N 子さん

終戦を迎え、小さな貨物船に乗って命からがら岩国に帰って来た私は、第2学期の10月から岩国国民学校に通うことになった。

家から学校までは歩いて10分ほどの距離だったが、優しい松本英江先生の計らいで、近所に住んでいた同級生の N子さんが、毎朝私の家に迎えに来てくれて、二人で手を繋いで登校した。

N子さんは大変頭の良い子で、算盤 1 級の資格を持ち、 IQ は120台で学級1の頭脳の持ち主であった。

私は N子さんに特別な感情を抱いていたわけではないが、素晴らしい頭脳の持ち主に一目置いて付き合っていた。

 

•  廣田美恵子さん

小学1年生の時、同じクラスに廣田美恵子さんという素敵な子がいた。

彼女は金持ちの娘らしく、いつも明るいピンクのドレスを着ていた。その頃の女の子は、よれよれのセーラー服にモンペ姿が普通であったので、彼女のピンクのドレスは飛び抜けて目立っていた。

彼女は、教室の南側の窓辺の席に座っていた。陽が射すと、窓の下の腰板に彼女のドレスのピンク色が反射して、彼女の周囲はパっと明るく輝いていた。

私は天使のような彼女をそっと盗見して、胸をときめかしていた。

その廣田美恵子さんが、突然他所に転校して行ってしまった。父親の転勤によるものだったのだろう。それきり彼女とは会っていないが、私が胸をときめかした最初の女の子であった。

 

・ A子さん

小学校5年の同級生の中に、 A子さんという小柄な可愛い女の子がいた。

彼女が皆の前でピアノを弾く姿を観た時から、すっかり彼女の虜になってしまった。

以来ずっと A子さんの姿を追って暮らしていたが、胸の内を告白する勇気は無かった。

学校を卒業して何十年も経ってから、同窓会の会場で久し振りに A子さんに会ったとき、初めて A子さんの手を握り、私から A子さんに
「実は、ずっと君が好きだった」
と告白したとき、 A子さんは
「もっと早く言ってくれれば良かったのに」
と言ってくれた。

今も A子さんと会うときは、心がときめく。

 

以上が私の初恋歴であるが、心がときめいた強さと期間の長さから、本当の初恋の相手は A 子さんだったのかもしれない。

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