ターニャ・サヴィチェワ

これは、檜原勇多賀の体験談です。

ある晩、私は夢を見た。場所は北欧のどこかの町で、日本から仕事で来ていた。

仕事は終わって、一軒の木賃宿を見つけ、ここに泊まることにした。中に入ると一人の少女が現れて、私を一つの部屋に案内してくれ、その部屋で暫くその少女と談笑していた。大きな青い目をした笑顔が素敵な愛くるしい少女だった。

そのとき、「ターニャ!」「ターニャ!」という大きな声が部屋の外でして、「ターニャ」と呼ばれたその少女は慌てて部屋から出て行った。部屋の外には姉と思われる二人の女の子が居た。

その後「ターニャ」は、再び目の前に現れることはなかった。翌朝、宿を出るとき、私の靴が見当たらず、仕方なく宿に在った底のすり切れた少し大きめの古靴を替わりに貰って宿を後にした。

宿を出た私は振り返って宿を眺めて、
<「ターニャ」に会うために、もう一度この宿を訪れよう>
とつぶやいていた。

目が覚めても、夢の中で会ったその少女の名前が「ターニャ」だということをはっきり覚えていた。

朝食を終えても、「ターニャ」というその少女のことが気になり、早速インターネットで「ターニャ」を検索してみた。

検索結果は、何人かの「ターニャ」という名前の有名人がヒットしたが、その中に「ターニャ・サヴィチェワ」という人物が居て、ウィキペディアに掲載されているその人物の写真を見てびっくりした。夢の中で会った「ターニャ」にそっくりなのである。

ウィキペディアによると、「ターニャ・サヴィチェワ」は、第二次世界大戦のときレニングラードに住んでいたサヴィチェワ家の二男三女の末っ子で、独ソ戦のレニングラード包囲戦の渦中に巻き込まれ、家族や親族が次々に亡くなっていく様子を「日記」に残した少女で、1944年に14歳で赤痢のためこの世を去った。

その「日記」の最後は次の言葉で終わっている。
「サヴィチェワ家は 死んだ。
  みんな 死んだ。
  残ったのは ターニャだけ。」

夢の中で「ターニャ」には二人の姉が居たが、現実の「ターニャ」にも二人の姉が居たのだ。

実は、夢を見たとき、「ターニャ・サヴィチェワ」の存在は知らなかった。何故「ターニャ」は夢に出てきたのだろう? 「ターニャ」は、一人でも多くの人に戦争の悲惨さを分かってもらいたかったのだろうか?

インターネット上に「ターニャ・サヴィチェワ」のお墓が在ることを知り、早速お参りして白い花を捧げて「ターニャ」の冥福を祈った。


 

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