この話は、京都の歯科医 柏井 壽さんの著書「京都四条 月岡サヨの小鍋茶屋」のあらすじです。
昼は行列のできるおにぎり屋、夜は一日一組限定の鍋料理屋で、サヨが作るしゃも鍋を目当ての客も多い。 慶応三年の三月のこと。耳慣れない土佐弁を話す背の高い慈姑頭 ( くわいあたま ) の侍が、伏見の「菊屋旅館」の女将フジの紹介で、夜の予約を取るため「小鍋茶屋」を訪れた。 その侍の話す土佐弁は聞き慣れないため判り辛かったが、三月十八日の夜しゃも鍋を食べに一人で来ると言って帰って行った。 サヨは、近江水口の大きなしゃも肉と錦小路の「三浦屋」で小さな土鍋を手に入れ、準備万端整えて土佐の侍の来るのを待った。 三月十八日、「小鍋茶屋」にやって来た土佐の侍は、優に三人分は有るしゃも肉をぺろりと平らげ、通い徳利に入った酒も瞬くうちに飲み干して、お代わりの酒を注文した。 「お侍さんのお名前は?」 土佐の侍は約束通り五月、七月、九月の十八日に「小鍋茶屋」にしゃも鍋を食べにやって来た。 ところが、十一月十六日の朝に、いつもサヨが醤油を仕入れている蛸薬師町の「近江屋」から連絡が有って、急な取り込みが有ったので、とうぶん商いは出来なくなったと言ってきた。 慶応三年十一月十五日、三条河原町の土佐屋敷の近くの「近江屋」の二階で、土佐の勤皇志士坂本龍馬が何者かに襲われて命を落としている。
(挿絵:いずみ朔庵)
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