地震を誘発する夫婦
<その1> 1994年11月3日 筆者は妻妙子と娘久美と3人で神戸市内観光のため神戸市を訪れた。 そして、今回の旅行の目的の一つである神戸市北野町の異人館街に行き、仏蘭西館や英国館を訪問した。
<その2>
6月23日に洞爺湖畔の宿を出て、車で有珠山駐車場まで行き、有珠山ロープウエーに乗って山頂まで行き、有珠山火口原展望台から白い煙を上げている火口原を眺めた。
<その3> 2005年3月20日 筆者の父の没後10年祭に出席するため、筆者と妻妙子は長崎本線と西日本新幹線を利用して、筆者の実家の在る山口県岩国市を訪れた。 途中、博多駅に 8 時 35 分に着き、 8 時 48 分の新幹線に乗車するまで、博多駅に約 13 分間居た。
我々が博多駅を離れて約 2 時間後にその場所に発生した地震であった。 この地震により、死者1名、負傷者 1087 名、住家全壊 133 棟、住家半壊 244 棟、一部破損 8620 棟などの被害が発生した。
<その4> 2000年3月19日 岩国市の実家に住んでいた長兄夫婦に連れられて、筆者と妻妙子の二人は島根県鹿足郡六日市町に在る山中の人気食事処「六日市の山賊」に食事に行った。 目的は人気の「山賊むすび」と「鮎の背切り」を食すことである。
念願の「山賊むすび」と「鮎の背切り」に舌鼓を打って、日本酒の酔いにも後押しされて、心地よく帰路に着いた。
<まとめ> このように筆者夫婦が訪れた直後に大地震が発生することが重なったため、仲間内では「檜原夫妻が行った処には、暫く行ってはいけない」と言われるようになった。
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