地震を誘発する夫婦

 

<その1>

1994年11月3日 筆者は妻妙子と娘久美と3人で神戸市内観光のため神戸市を訪れた。

そして、今回の旅行の目的の一つである神戸市北野町の異人館街に行き、仏蘭西館や英国館を訪問した。

英国館で、明治・大正時代に持ち込まれた夥しい数のガラスの食器が陳列されているのを見て、館員の方に「よく割れずに保存されていますね」と感想を述べると、館員の方が「ここ神戸は大きな地震が無いので、長年保存されているのです」と説明された。

ところが、2か月後の1995年1月17日に『淡路阪神大震災』が発生し、神戸市内ではマンションが倒壊し、高速道路が崩れ落ち、火災のため町が消失するという大災害となった。当然のことながら、これらのガラスの食器は悉く粉々に割られてしまう運命となった。

 

<その2>

1998年6月に、友人の松沢七蔵さんの息子の健吾君の結婚式に出席するため札幌市を訪れ、翌日レンタカーを借りて、筆者と妻妙子の二人は支笏湖・洞爺湖・函館をドライブして回った。

6月23日に洞爺湖畔の宿を出て、車で有珠山駐車場まで行き、有珠山ロープウエーに乗って山頂まで行き、有珠山火口原展望台から白い煙を上げている火口原を眺めた。

ところが、それから1年9か月後の2000年3月31日に有珠山が大噴火を起こし、噴出物、地殻変動及び噴火前後の群発地震により、本線上が噴火口となった国道 230 号線、落石の発生した洞爺湖登別線滝見坂など道路の損傷や泥流による甚大な被害が発生した。

 

<その3>

2005年3月20日 筆者の父の没後10年祭に出席するため、筆者と妻妙子は長崎本線と西日本新幹線を利用して、筆者の実家の在る山口県岩国市を訪れた。

途中、博多駅に 8 時 35 分に着き、 8 時 48 分の新幹線に乗車するまで、博多駅に約 13 分間居た。

ところが、実家に着いて間も無くの 10 時 53 分頃、突然ガタガタと大きな音を立てて家が激しく揺れた。直ぐテレビを点けてニュースを確認すると、同時刻に福岡市内の沖合に在る能古島付近を震源とするマグニチュード 7.0 の地震が発生していた。

我々が博多駅を離れて約 2 時間後にその場所に発生した地震であった。

この地震により、死者1名、負傷者 1087 名、住家全壊 133 棟、住家半壊 244 棟、一部破損 8620 棟などの被害が発生した。

 

<その4>

2000年3月19日 岩国市の実家に住んでいた長兄夫婦に連れられて、筆者と妻妙子の二人は島根県鹿足郡六日市町に在る山中の人気食事処「六日市の山賊」に食事に行った。

目的は人気の「山賊むすび」と「鮎の背切り」を食すことである。

敷地内は広々として、大きな茅葺屋根を載せた母屋の中は利用客で賑わっていた。

念願の「山賊むすび」と「鮎の背切り」に舌鼓を打って、日本酒の酔いにも後押しされて、心地よく帰路に着いた。

ところが、それから6か月後の2000年10月6日、鳥取県西部地震が発生し、六日市町でも震度4の強震に襲われ、甚大な被害が発生した。

 

<まとめ>

このように筆者夫婦が訪れた直後に大地震が発生することが重なったため、仲間内では「檜原夫妻が行った処には、暫く行ってはいけない」と言われるようになった。

 

 

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