藤原道長と『源氏物語』の作者・紫式部は、愛人関係にあった(式部は道長の妻妾だった)とする説は、昔からあります。 紫式部の父・藤原為時は当初淡路の守に任じられたが、藤原道長が為時の任地先を大国・越前の守に替えてやった。 紫式部が道長から一条天皇の中宮(側室)である道長の娘の彰子の家庭教師として女房になって欲しいと頼まれたとき、父への恩義から断ることが出来なかった。 中宮彰子の女房となった紫式部は、持ち前の漢学や和歌における卓越した知識を生かして大活躍するのであるが、女好きの道長が紫式部に何度も言い寄ることが紫式部日記から窺える。 ある日、道長から「『源氏物語』作者のおまえは好き者と評判だ。口説かずに素通りする男はおるまいと思うが、どうかな?」と言われ、紫式部は「私には殿方の経験などまだございませんのに、どなたが『好き者だ』などと噂を立てていらっしゃるのでしょうかしら?心外ですわ。」と答えている。(紫式部日記より) またある夜、誰か戸を叩く人がいる。恐ろしさに声も立てず夜を明かした。翌朝、道長から「私は泣きながら、あなたの戸を一晩中叩きあぐねていたのですよ。」という和歌が届いた。紫式部は「ただごとではないというほどの叩き方でしたけど、本当はほんのつかの間の出来心でしょう?戸を開けたらどんなに後悔することになっていたやら。」と返事している。(紫式部日記より) しかし道長から何度も夜這いを掛けられれば、紫式部も終には道長を受け入れざるを得なかったのではないか?
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