チュニジア (Tunisia)

 二度目にチュニジアを訪れたのは、1984年の5月であった。チュニジアは、アフリカ北部にあるアラブ人の共和国である。北部と東部は地中海に面し、北東に突出したボン岬は幅約150キロメートルの海峡を隔ててシチリア島に対し、南東はリビヤ、西はアルジェリアと国境を接する。

 面積16万平方キロメートル、人口656万人、首都はチュニスである。永い間、フランスの保護領となっていたが、1956年独立し、その後、フランスとの間で戦火が繰り返されたが、1963年、フランス軍の撤退を完了した。宗教はイスラム教、言語はアラビア語を公用語とし、日常会話はフランス語が使用される。

 丁度その頃は、チュニス湾に面した場所に建設中の発電所も完成を間近に控えて、急ピッチで建設工事が行われていた。工事現場には100人近い日本人が働いており、彼等は建設現場から10数キロメートル離れたところに、地中海に面して建てられている”エズ・ザハラ(Ez Zahra)”という名のリゾートホテルの3階フロアを全部借り切って寝泊まりしていた。

 私も同じフロアの空き部屋に入れてもらって、彼等と暫く共同生活を営むことにした。朝は5時半に起きて、6時からホテルの食堂の一角に仕切られた日本人専用のテーブルで朝食を摂る。食事は、日本からわざわざ呼び寄せた日本人コックがホテルに泊まり込んで、3度の食事を作ってくれる。海外で建設工事を行う場合、食事の種類と質は非常に重要なファクターである。ここでは、毎朝必ずたっぷりの味噌汁が用意されていた。熱い味噌汁を飲むと、不思議にその日のための活力が湧いてくるのである。

 食事が終わると、6時半きっかりに数台の車に分乗して、全員一斉にホテルを出発する。30分ほどで建設現場の発電所に着き、作業服に着替えてテープレコーダーのラジオ体操をしたあと所長の訓示があり、8時から仕事が始まる。

 昼食はホテルから弁当が届けられる。5時になると、残業する者を残して再び車に分乗してホテルに帰る。ホテルに帰り着くと、7時の夕食までテニスをしたりプールで泳いだりして汗を流す。7時からの夕食が、一日のうちで一番楽しい時間である。イスラム教の国ではあるが、ここチュニジア共和国は断食の廃止など宗教的慣習の近代化を図っており、お陰でアルコール入りのビール、ワイン、何でもおおっぴらに飲むことが出来る。夕食後は、3階に特別設けられた専用の娯楽室でビデオを眺めたり、読書をしたりして適当にくつろげるようになっている。

 そのような毎日を送っていた或る日、ホテルの部屋のベランダに出て目の前に拡がる地中海をぼんやり眺めているうち、フト、或る事に気が付いた。真っ白い砂浜に静かに寄せ来る波打ち際の線が、いつ見ても同じ所に有るのだ。それからというもの、毎日注意して観察したが、やはり波打ち際の線はいつも同じ所に有ることが確認された。即ち、地中海では潮の満ち引きは殆ど無いのだ。

 これは、地中海と黒海の出入り口が、狭いジブラルタル海峡ただ一つしかないためである。ちなみに、満潮時から干潮時までに、ジブラルタル海峡を通って大西洋へ出て行く海水の量を計算してみると、海峡の最も狭いところの幅が15キロメートル、水深360メートルであるから、平均潮流を毎時2.5キロメートルと仮定すると、6時間の間に81立方キロメートルの海水が流れ出ることになる。これを地中海と黒海の面積の和3,417,000平方キロメートルで割ると、潮位の差はたったの2.4センチとなり、潮の満ち引きが殆ど無いことが判る。