長 崎 絵 日 記 (1964-4-10〜1964-12-28) (V5.2)
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月 |
日 |
曜日 |
今 日 の 出 来 事 |
4月 |
10日 |
(金) |
長崎行き急行『雲仙』 12:30pm 東京駅発。箱型座席で長崎へ向かう。 |
11日 |
(土) |
午前11:43 長崎駅着。昭和寮に入寮。5-211号室。佐伯さんと同室である。
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雑貨 620円 葉書 350円 |
20日 |
(月) |
初任給をもらう。額面22,136円。ただし、手取り20,707円。来月は寮費や洗濯費で手取り16,000円程度見込み。母より手紙来る。 |
ザボン 1,500円 |
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24日 |
(金) |
この日より実習始まる、5月12日まで。

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5月 |
20日 |
(水) |
ビニール袋をバスに忘れて取りに行く。月給は14,500円。きわめて安くて困ったものだ。ものすごく騒いだ。昭和町の向こうまでラーメンを食べに行き蛮歌を歌って寮に帰り、また騒ぐ。楽しいかな、青春。ドライブ料金を見にいく。 |
酒代 500円 チョコレート 200円 寮費 2,100円 |
22日 |
(金) |
Kさんにフルーツと肉をおごる。ひさしぶりであった。三菱病院眼科看護婦のBさんに独語の辞書を貸す。小説を地で行く感じがする。ヘルタスを買う。テーマ実習は甚だかんばしくなかった。 |
漫画読本 100円 K嬢 1,500円 パー券 500円 |
31日 |
(日) |
見習甲ダンスパーティー。ウクレレと歌の特別出演。石崎とデモダンスを踊った。男と踊るのは始めてであった。松尾さんの友達の村田さんを色男の中安にかっさらわれた。黒木さんのパー券は、とうとう全部売切れた。赤尾とか森棟はかならず買うお得意さんである。 |
ビ―ル 500円
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6月 |
14日 |
(日) |
教会へ朝の礼拝に行く。荘厳な気持ちで信仰の気持ちがわかる気持ちがする。国際文化会館の古文化展を見る。黒木さんには逢えなかったが、マンドリン演奏会は素晴らしく、楽しかった。美女に沢山あった。 この日檜原さんは京ナンバーの愛車「クラウン」でラリーに出場した。 美女との約束を反故にできないので横断幕での応援ではあったが、さすがは檜原さんである。(佐伯代筆)

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雑費200円 |
17日 |
(水) |
海水パンツを買いに思案橋へ行く。夜の長崎ドライブはなかなかいいもんである。ふくせんでビキニスタイルの下だけ買いたいといったら笑われた。安い海水パンツであった。古本屋で英独のよい辞書を見つけた。これは掘出物と思う。 |
本代290円。衣類150円 |
18日 |
(木) |
海水浴へいく。福田は遊園地のなかで海水浴場が縄で区分してある。あまりきれいなところではない。コンクリート作りの池の中で泳いでいる感じ。岩で足をすこし切った。ヨーチンをつけ、ホータイをまいた。真新しい浴衣でプリンスメロンがうまかった。 |
食費100円 |
19日 |
(金) |
今日は檜原さんの免許証の出戻り記念日。クラウンの運転も今日までとなった。車に関しては、学生時代のようなこういう生活も終りかもしれない。岡部は、また下手なダンスへ行った。とにかく下手な横好きというのであろうか。 |
食費150円 |
20日 |
(土) |
三菱商事のM嬢を誘って夜の長崎の急所を見物。女は小便が長いというが行け行けというのに行かないのでハラハラする。最後の方は我慢に我慢を重ねている感じで可哀想であった。悪い事をする機会を逸したのは失敗だったかもしれない。38年甲の手塚さん、岡本さんにカアチャンについて講義された。 |
Vierge 2,000円 課親睦 1,000円 |
28 日 |
(日) |
活水女子大14名と合ハイ。出澤とか白石が出陣。岡部はもちろん参加。費用570円だから格安。

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合ハイ代金570円
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29 日 |
(月) |
宮摺へ海水浴。檜原、加福、江原、清水、長田。面白い日々。足をすりむき、生傷が絶えない。セメダインを忘れたが、とっておいてくれた。活水のバザーへ出品するつもりだが、よい案が浮かばない。 |
雑費 400円 |
30日 |
(火) |
会話をさぼり海水浴へ行く。釣り道具を買う。檜原さんのクラウンがパンク。昼休みに直しに行く。6月も最後とは早いものだ。 |
パンツ 40円 雑費300円 |
7月 |
4日 |
(土) |
檜原さんのクラウンで東望へ海水浴。7時5分に帰宅し、8時小川町聖徳寺の活水七夕茶会に出席。終って午前0時。朝10時には石丸さんを送って愛宕山へいく。11時浮名。きわめて安く360円。一旦帰寮(12時)。石崎、松沢とSea Bowにいき、2時大波止でうなぎ釣り。変化に富んだ一日であった。 |
浮名360円 Sea Bow200円 タクシー900円 酒代2,800円 |
5日 |
(日) |
今日も檜原さんの車で高浜へ海水浴。素晴らしい砂浜と輝く太陽で久しぶりも海水浴気分であった。7時半に帰寮し、竹内さんの部屋で飲む。 |
海水浴 200円 |
10日 |
(金) |
昨日は活水の女性と納涼船を楽しむ。昨晩は檜原さん、加福さん、三好さん、清水のカツどんが火鉢を並べたらしく大騒ぎ。付合いで謝りに列席。 |
雑費 100円 |
仲間の誰かの車が帰ってくるのを妨害する目的で、酔いの勢いでやった。翌朝、寮長に呼ばれて管理人室に入るとき長田さんが通りかかったので、何も知らない彼を被告人の列に引きずり込んだ。(檜原) |
11日 |
(土) |
午前3時まで加福さんの部屋で話込み、結局三好さんのベッドで寝た。ストームのない静かな晩であった。石丸さんに電話したら不在。あとで電話がかかってきたのでスイカをおごらされた。 |
スイカ 300円 |
12日 |
(日) |
檜原さんの車でいつものメンバー(檜原、加福、江原、清水、長田)で千々石へ海水浴。あやみちゃんも来る。波荒し。眼鏡をとられ、奇跡的に見つけてもらう。おごらされることになる。貝とカニを取り、休みの大文字であっという間に18本を飲む。矢太楼で騒ぐ。かなり酔い、面白い一日であった。

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メガネを探している図。あやみちゃんが見つけた。 食費 400円
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確かこのとき矢太楼の大浴場で清水さんが潜って行って女湯に近づき、観葉植物の陰から顔だけ出して女湯を覗いていたところに覗かれている女性のダンナが赤ん坊を抱いて入ってきて、一時、険悪な雰囲気になったが、大事に至らず何とか納まった。(檜原) |
17日 |
(金) |
石丸さんを誘い、ついでに畑さんと佐伯さんを道づれにメゾン仔馬で待合せ。本屋でカラ―ブックをプレゼント。稲佐山を64コロナで登る。このドライブクラブは利用加値がありそうである。石丸さんはかなり脈がありそうである。帯状湿疹で静脈注射され身体がカッカしてのドライブであった。
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25日 |
(土) |
石丸さんが北九州大学のパ―ティにいくというのを無理にやめさせて宮摺の近くまでドライブ。檜原さんは船の試運転で留守。車の管理を任されたので、きわめて好都合なり。暗いところで写したのに意外によく写っていた。彼女を送ったあと、大文字に行く。檜原さん、加福さん、清水と東望へ深夜の海水浴。とにかく、よく騒いだ。

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ツケ 1,000円 |
26日 |
(日) |
午後1時からあやみちゃんを加えて6人(檜原、加福、江原、清水、長田)で川原で海水浴。色々な人に出会った。ディーゼル部の女の子が2人。内田さんや松沢。有村さんや小田さんにもあった。 |
食費 400円 |
30日 |
(金) |
郷子さんから葉書が来たというのでスイカをおごらされる。きわめて暑い。それにしてもはやいもので、もう7月が終る。免許証の書き換えをせねばならない。 |
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スイカ 300円 |
8月 |
3日 |
(月) |
今日は36度。暑さでうだる。久しぶりの会社勤めは骨が折れる。保険の麗子おばさんが来た。帰りに投げキッスをしたら、仁科課長がぬっと顔を出しギョロギョロとにらまれる。今日は上の階の中村姐さんの所でご馳走になる。吉田指導技師との挨拶回りは水曜日。 |
5日 |
(水) |
バンド練習。石崎が初参加。免許証用の写真をとる。浴衣の写真もとる。はやく現像したい。管理人室の池下さんにも贈る。キョトンとしていた。 |
6日 |
(木) |
研究所5階アナログコンピュータ室で一日すごす。涼しすぎ、ねむくて困った。夜は大文字。焼肉はうまかった。飲みすぎの感じがする。あやみチャンがモテモテである。 |
7日 |
(金) |
9月の連絡にニューナガサキホテルへいくつもりで、とうとう行けなかった。奥日光へ旅行中の石丸さんから三通目の便りあり。わるい気持ちはしないが、カメラ写りがわるい気がする。ビール3本でよい気持ちになる。明日から加津佐へ行く前準備であわただしい。 |
ツケ 1,000円 写真 300円 |
8日 |
(土) |
定時から加津佐キャンプ(檜原、加福、江原、清水、岡部、長田)へ出発。7時すぎに到着。若鶏の足を焼いてビール30本。ツイストとかインディアンごっこで大騒ぎ。とにかく面白かった。しかし加津佐の波は巻き込むようにして凄さがある。

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会費 1,000円 |
翌朝目を覚ますと、全員キャンプファイヤーの燃えかすの回りに砂に顔を突っ込んでブッたおれていた。ここでも清水カツドンがアベックを覗きに行って藪蚊にかまれ、悲鳴をあげて逃げてきた。(檜原) |
13日 |
(木) |
中川町の林所長宅へ押しかけて騒ぐ。見習甲10名前後。ビールとかウイスキーでとにかくよい気持ちであった。よい雰囲気の家庭であった。お中元の品は、昭和寮の便所のトイレットペーパー3個を丁寧につつんで進呈した。よい気持ちであった。 |
飲み代 400円 |
20日 |
(木) |
給料16,600円を貰ったが、色々なことで15,000円前後となる。石丸さんに電話。今週はだめと断られしょげるが、来週火曜となる。大文字にいく付合いで苦しい日程となる。 |
寮費 720円 大文字 5,000円 課親睦費 860円 三田会 200円 |
23日 |
(日) |
バンド出演のパーティで、昼から飾りつけとかロイヤルハワイアンとかアトム電機とかで忙しかった。せっかくきれいになったのに、台風14号の影響で女性が来ない。そのせいで大ビアパーティとなり飲み放題。酔っ払いが続出して大騒ぎ。石崎がひっくりかえって脳震盪を起こし医者が来た一幕があった。 |
9月 |
1日 |
(火) |
もう9月。台風もなく静かな秋の入りだ。床屋へいってさっぱりした佐伯さんは明日試運転で平戸小屋寮に泊る。佐伯さんのマージャンの稼ぎ代でサッポロジャイアンツを1本飲む。いい気持ちになる。 |
6日 |
(日) |
午前10時からトヨペットグループ(檜原、加福、三好、江原、清水、長田)で轟峡谷へ行く。多良岳982mに登るつもりだったが、三好さんと江原さんしか耐えられなかった。それにしてもすごい運動量であった。終わって大文字へ直行。とにかく金使いは荒くなった。しかし諫早へのあの道路は女の子を連れているといい気分だろうなあ。

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食費 300円 飲み代 1,000円 |
轟の滝の滝壺で泳いだが水が氷のように冷たく、三好さんが足にけいれんを起こし痛がっていた。(檜原) |
15日 |
(火) |
明日は計研の中間発表というので張切って書類作成に励んだが、夜中の2時頃丁度大雨の中、江原・清水・檜原氏がご帰還して大騒ぎ。書類どころではなくなった。中安が女の子に手紙を出して返事がくるかどうかカケをした。おもしろいカケである。 |
コーラ 100円 |
18日 |
(金) |
交通会館の6階の中級フランス語へ行く。小便の切れが悪く、余滴でズボンの前をぬらし、せっかくの道津さんの前で困惑して緊張した。彼女の手前、すごいファイトがわく。デボネアとコルト1000が出た。 |
本 180円 |
19日 |
(土) |
今日は月給日。手取り16,500円。大文字などの飲み代で、そのうち6,000円がなくなる。合唱発表会を聞きにいき、舞台にいる先輩の内田さんにトイレットペーパーをお祝いに投げ入れる。最後のタイミングであったが、目だってよかった。 |
ガス代2,000円 課代金 1,200円 合唱200円 食費300円 大文字1,500円 飲み代500円 |
10月 |
6日 |
(火) |
他事業所見学に出発。森田小平治係長が引率。午後3時第1事務所前に集合。4時35分発の急行玄海で一路京都へ向かう。FORTRANの宿題積み残しあり。 |
食費 500円 |
7日 |
(水) |
朝9時10分京都駅に到着。午前中京都製作所を見学。昼休みに大学同期の花輪が来る。三菱500-Dを買ったというので夜7時から夜の街を見学。丸山公園、東山ドライブコースと雰囲気のいいデイトコース。こんなにしっくりとした京都にいる奴は幸せだと思った。 |
8日 |
(木) |
朝、山紫荘を立ち、バスで名神高速道路を一路伊丹へと時速80kmでとばし三菱電機を見学した。急行『しろやま』で広島へ向かった。 |
9日 |
(金) |
昨晩の大雨はウソのように晴れた。ばかでかい広船・江波・観音工場を見学した。広船配属の大学同期の宮口と夜の街でビヤホール、飲み屋、バーと梯子し、大声で『若き血』を歌った。森田係長は小遣銭1,000円をくれた。公私共にえらく物分りのいい先輩である。

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10日 |
(土) |
昨晩の酒がえらくこたえ、朝方二度ももどした。それですっかり楽になったが、午前中の広機の見学は誠につらかった。午後は暑いさかりを市内見物。これはこたえたが、石崎が広島バスのガイドさんと仲良くなってうまいことをしていた。今日は東京五輪の開会式。ラジオはにぎやかだった。南海が優勝して鶴岡親分が男になった。

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18日 |
(日) |
ジーゼル部の親睦ソフトボール大会。第1係は優勝した。3試合で4安打。全部すっきりした安打であった。夜遅く檜原さんや加福さんたちが雲仙から大文字経由でご帰還。また大騒ぎ。明日は輪講日である。なにも準備していない。 |
20日 |
(火) |
午後6時から38甲の長尾さんの結婚式にバンド出演。西村さんはいつもの甘い声が出ず、だみ声の歌となった。駅の見送りでも大騒ぎした。カッパとはまぜんに行く。 |
仏会話 1,220円 お茶のお稽古代 1,760円 |
30日 |
(金) |
計研の磯村指導技師が留守なので一日なにもせずぶらぶら。定時よりトヨペット・グループ(檜原、加福、江原、清水、長田)で、出来たばかりの九州縦断道路および九重山の旅に出かける。今夜は雲仙荘に泊る。素晴らしい旅館である。ピンポンで楽しむ。11時、女風呂が賑やかだったのでのぞきに行ったが戦果なし。 |
31日 |
(土) |
今朝は6時半に起床。フェリーボートに乗って対岸の熊本県に入る。ここで道を間違えて砂利道を一時間走り、また引き返した。本物の横断道路は完全舗装の素晴らしい一級国道であった。牧の戸の観光ホテルで泊る。750円。清水カツどんが裏の急坂をはいあがって女風呂をのぞいたら、昼のバスガイドさんにお湯をザブンとかけられて、ドロドロになって帰ってきた。きれいだったというが真偽は不明。朝見るガイドさん

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途中熊本城でバスガイドさん(上記のバスガイドさんとは別人)と記念撮影。長田さんが得意の話術で彼女の名前と住所を聞き出し、写真を送ることを約束。その後どうなったかは記憶にない。(檜原) 何回か文通しました。返事がくるとうれしがったのですが、それ以上には進行しませんでした。(長田)
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11月 |
1日 |
(日) |
朝6時起床。6時半出発。まだ暗く霧が濃い久住山は、ひどいもやと烈風であったが、時々もやが流れると、紅葉した山肌が眼前に展開し目を楽しませてくれる。山頂まで一人しかあわなかった。夜は別府の西田荘800円。3本立て45分天然色500円。下駄を持ってお座敷へいったらオバサンたちが先客でいた。途中で取締で下駄を持って逃げ出した。

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2日 |
(月) |
8時に別府を出発。加福さんが胃カタルを起こし病院で加療。ブドウ糖注射らしい。夜はチャンポン。加福さんの衰弱は甚だしく苦しんでいたので、再び病院で注射。 |
8日 |
(日) |
昼から玉木女子学園のファッションショーへ行く。場違いな妙な雰囲気であった。浜屋の資生堂の女の子に大勢あった。デビー・レイノルズのカレンダーをやっと入手した。 |
タバコ 70円 交通費 150円 靴敷き 60円 |
11日 |
(水) |
フランス語は明日に順延なのを知らずに行き損をした。道津さん目当ても苦労する。夕方早めに森棟と一緒にお茶のお稽古に行く。女の子でえらくこんでいた。高木老先生が気をきかせて呼んだらしい。三菱商事のMさんがいたのにはびっくりした。 |
17日 |
(火) |
計研の磯村指導技師が呆れ返って『大学卒業の最低線までレベルアップしろ』と詰め寄られた。同じ研究室の北村は遠くでせせら笑っていた。切れすぎる人についてしまった凡人の悲劇なり。北村は要領よくやっているのである。 |
26日 |
(木) |
研究所のトイレで力んだら、たらたらと赤い血が流れだしたのでびっくりした。膝もギクギク痛む。首に吹き出物。疾患多し。計装研は職制変更で大揺れ。お茶の高木先生電話。 |
27日 |
(金) |
帰りのバスで朝田さんと一緒になった。人間の出来たお方は物静かなのだと感心した。 |
12月 |
12日 |
(土) |
忘年会で新和楼で一次会。元手を取るくらい食って同じ職場の鶴田さんと二次会。最寄、てつ(しずえ)と回り、ディーゼル部の吉田技師宅を襲う。続いて仁科課長宅へいくも起きず。再度てつで飲み、思案橋で吉田技師を解放し、アリランでホルモン。紫苑のかずえちゃん他3名と忠臣蔵のオールナイト。6時から平戸小屋で寝た。 |
飲み代 1,500円 |
14日 |
(月) |
見習甲の第三期講習の三菱記念会館から定時で帰る。久しぶりである。漫画を書かされる。早く寝たのに、38年甲の松田さんのストームで起こされ、びっくりする。 |
タバコ 310円 チーズ 160円 |
19日 |
(土) |
加福さんが『腎臓結石』で三菱病院へ入院。びっくりして、あたふたとかけつけ、定時後にまた衣類などを届ける。とにかく、独身で病に倒れると厄介である。本人はチンチンを看護婦さんに握られたと元気だった。午前1時から明日のチャリティーの漫画を描く。 |
見舞い 1,000円 |
別府のヤブ医者から『胃カタル』と誤診され、加福さんは帰り着くまでトヨペットの中で「ウン、ウン」うなっていた。三菱病院で診察を受けたら、即『腎臓結石』と判明。後日、病院のトイレでポロリと出てきたという結石を見せてもらったが、フットボールのような形をして、本当にデカかった。(檜原) |
20日 |
(日) |
今日は全く良い楽しいパーティであった。大成功の方であろう。フランス語の道津さんが最初から来てくれたのでうれしかった。楽しく甘い思い出としてながく胸の奥にとどまるであろう。チャリティーも4,000円程度稼げて、ほっとした。 |
退職祝金 960円 道津さん 1,000円 食費 200円 |
24日 |
(木) |
今日はいい日だった。道津さんが6時半に来てくれた。ニュー長崎のバーで飯を食い、稲佐の山頂の騒々しいパーティですごし、ホンダの菓子を買って送った。二人で星を見た、ロマンチックな夜であった。帰ったら38年甲の松田さんのマージャンに付き合わされ、ひさごと若葉でラーメン。甘い夢をはかなくも、つぶされてしまった。 |
食費 3,500円 |
著者註1:原典は、本当は3冊ありました。山と渓谷社の日記帳に書いていました。最初の半年は真面目でしっかり記載されています。それで残っていたのです。半年をすぎるといい加減になり白紙が目立つようになり、最後は全くの白紙。それで15年前に現在の小さな陋屋に引っ越す時、残りの2冊は思い出とともに捨て去ってしまいました。寝る場所もないのです。私をとるか、古文書をとるかとカアチャンに迫られば、生活力のないトウチャンは弱いのであります。 ということで、最初の半年分しかありません。最高にもりあがった正月あけから春にかけては、日記どころではなかったようです。残念ながらサヨナラリサイタルの写真とテープしか残っていません。自分に都合のわるい記述はもちろん自分で検閲削除します。キスマーク襟巻き事件とか銅座の衣衣の別れとか、そういうのは内諸ですし、後半の部ですから記載なしであります。そういう目でご笑納ください。私家版ですから、公開公示を意識して書いていません。永井荷風の日記や斎藤茂太の日記のように読むに値するとはとても思えませんが、記念ですので、おおそれながら、と言うのみであります。
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著者註2:この絵日記は、みなさまの合作で編集されました。コメントも関係各位殿のご記入によったものです。写真は檜原さん、佐伯さん、南條さん、中安さん、三好さんからご提供のものです。コメントならびに写真を佐伯さんが合体の手間をかけて下さったものです。写真は、サイズが大きい上、枚数が多すぎて収納出来なくなり、ここまででやむなく打切りました。収録出来ない名画は沢山残存します。アルバムは簡単かもしれません。茲に厚く御礼申し上げます。(2002-11-11) →『メール回想往還』 |