5棟休養室での麻雀(昭和44年8月31日) 東=故岡田信一郎(背中)、南=嶋北、西=佐藤、北=中村、北東=石崎(背中)、南西=某 |
あるとき、江原さんに点数の数え方を習っていると、「大山さん、本ば読まんば。他人に教えてもらったらその人以上には絶対上手にはならんとよ。本ば読まんね。」ということであった。多分江原さんも周りの噂から私の下手さ加減を聞き知ってのアドバイスであったろう。それから麻雀の本を好文堂か何かで買い求めて、読んだ。しかし、なかなか上達しなかった。
あるとき、明日は12月末の仕事納めの日という前夜、どうせ、明日は書類整理やら定時からは一杯飲むことだし、仕事も半日で終わるから徹まんしようということになった。このときのメンバーもよく覚えていないが吉田さんや中村さんは居たような気がする。初めて一睡もせずに翌日会社に行ったが、案に相違して一日の長いこと長いこと、眠いのと身体のだるいことでぐったりした。徹夜麻雀とはこんなにもきついものかと実感した。
7年と少々昭和寮に居て本社に転勤したが、最後の頃は昭和寮の中で39会で面子が揃うことも少なくなり、ときどき、誘われたのか、押しかけたのか、3人面子を集めて嶋北さんら所有の黒いクラウンに乗って結婚して一家を構えている林さんの家まで出かけて麻雀をした。
本社では39会メンバーは居なかったが周りには麻雀好きがたくさん居り、再び火が付いたようにやり始めた。特に昭和48年秋のオイルショック以降、しばらくすると造船不況となり、オール定時に近かったのでよく代々木会館に通った。週に3回もやると毎日麻雀をやっているという感じで我ながらよくやるよ、という思いだった。
しかし、江原さんの教育的指導を忘れてはいなかったにも拘わらず腕の方はさっぱり上がらなかった。今でもOBを中心に仲間を作って月に1回くらいのペースでやっているが、昭和寮時代からここまでの成績を集計するとどのくらいのマイナスになっているかと思うのである。その原因は本を真面目に読まなかったことより、自分の集中力欠如に起因する性格的なものであると思っている。
しかし、そんなことはお構いなしに、これからも私は麻雀をするのである。
第2話:掏り
入社して2〜3年目と思うが、「マイフェアレディー」という映画が長崎の街でも封切られた。観よう観ようと思っていたが、なかなか行くチャンスがなく、いよいよ今週末には終わるという夏の水曜日、その日は定時であったが、いつもは水之浦のどぶ川の上にある「長島酒屋」で課の連中と一杯も二杯も飲むのがしきたりであったのに、一人そそくさと新地の映画館「新世界」に走り込んだ。館内はがらがらで、そのうち映画が始まり、よいポジションで観るのに不自由はなかったが、最初座った席の近くで若いアベックがひそひそ話をしてうるさいので通路を挟んだ少し離れた席に移った。しばらくそこで観ていたがもう少し前の席の方がよいようだということで、また、席を替わった。がらがらなので席の選択には問題なかった。
さて、8時頃であろうか、映画がはねて映画館を出て春雨通りの方へ歩き始めると、誰か後ろからついてくるのに気が付いた。あの辺は人通りが少なく、どうかすると夜は少し気持ち悪いような雰囲気で、自分と同じペースですぐ後をついて歩いてくる足音にはすぐ気が付いた。スパイ映画ならここで靴の紐でも直すふりをしてやり過ごすのだがな、と思って歩いていると、横に来た中年の男が、内ポケットからチラリと黒い手帳か定期入れみたいなものを見せて、「警察のものですが、少し聴きたいことがあるんですが一寸そこまで来てくれませんか」という。どきりとして、警察手帳といっても、しげしげと見せてくれるわけではなく、これは警察のふりをしてやくざか何かが自分をたぶらかそうとしているのではないかと思い一度に血圧が跳ね上がった。「そこに派出所があるじゃないですか」と言ったら、「そこでいいですよ」と言う。内心、やや、こいつは本物の警察かな、と思いながら並んで歩いて湊公園の角にある派出所に入った。
派出所の中で、机を挟んで相対して座るとその本物の刑事氏が説明するには、「館内で映画を見ていた客が掏りにあって、財布を盗まれたという届けがあった。自分はその後館内に入って後ろに立って見ていたが、あなたはあちこちに席を変わっていた。疑うわけではないが、所持品を此処で全部見せてもらいたい」と言う。「オイオイ」と思いながら、抵抗する気も、嫌味を表現する勇気もなく、「あゝ、いいですよ」と言いながら持ち物全部を机の上に並べて見せた。その頃はかばんも持っていなかったし、今のようにカード類を持っているわけでもなく、昭和寮と会社の間を専用バスで往復している毎日のようなもので、所持品といっても財布と定期券くらいなものであった。刑事は見るだけで、決して机の上に置かれた物を手にとって見ようとはしなかったが、最後に、「結構です。しまって下さい」と言った。この一言で嫌疑は晴れたものと理解した。
所持品を見せる前の、何処に住んでいるか、勤務先はどこか、何故席を頻繁に変わったのか、などの緩やかな尋問を加えると、30分くらいはその派出所に居たろうか。そのうち、夕立が来て、土砂降りの雨となった。帰ろうとすると、傘も持っていないので、刑事は「どうして帰りますか」と言う。「タクシーで帰る」と返事すると、その近辺はタクシーがあまり通らないことを知っているものか、自分で外に出て行ってずぶ濡れになりながらタクシーを連れて来てくれた。
タクシーの中でも興奮未だ冷めやらず、飲みに行く気にもならず真っ直ぐ昭和寮へ帰ったものである。
以上
PS 故岡田信一郎君が宴会のときに、自発的にあるいは我々に強要されて、良く詠っていた、「八百屋お七の物語」です。