万延元年(1860年)、長州藩の科学者である中嶋治平は、萩の地でガラス製造を開始。

江戸の切り子職人を招いての優れた技術と、萩ならではの水晶石を原料とした透明感のある美しさは、 朝廷からも高い評価を受けていた。

かの高杉晋作・大村益次郎・周布政之助ら志士たちもそれぞれに「萩切り子ガラス」を愛用し、 酒やワインを口にしていたという。

東行記念館の「高杉家史料」中にある晋作愛用のグラスは、高さ8センチ、口径4.8センチと 意外なほど小さいが、ハイカラなグラスである。

晋作は萩生まれのこのグラスが、よほどお気に入りだったらしい。

福田侠平(奇兵隊幹部)に贈った 自画自賛と伝えられる一幅に、このグラスで酒を飲む自分の姿を描いている。

写真のグラスは、晋作愛用の萩グラスの復刻版である。

右隣の色紙は高杉晋作の自画像で、愛用のグラスも描かれている。

 

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